印刷 関連トピックス原子力発電所東京電力 公式の場で初めて取材に応じた東京電力福島第一原発の吉田昌郎所長は「3月11日から1週間で死ぬだろうと思ったことは数度あった」と事故直後を振り返った。 そのうえで、吉田所長は「1号機の爆発があった時はどういう状況かわからず、最悪、格納容器が爆発して放射能が出てくることも想定した。メルトダウン(原子炉内の燃料が溶けて底に落ちる炉心溶融)が進んで、コントロール不能になってくれば、これで終わりだという感じがした」と述べた。 危機的な状況からいつごろ脱したと感じたかについては、「6月いっぱいまでかなり大変な思いをした。本当に安定してきたのは7、8月」と明かした。 第一原発の現状に関して、「原子炉は安定している。周辺の住民の方が安心していただける程度には安定している。しかし、作業するにはまだまだ厳しい状況にある」と述べた。 また事故を起こしたことにつ