「反対派のせいで建替え出来なかった」というデマ 「反対派のせいで建替え出来なかった」「対策出来なかった」というデマ 第2回 上記2回の記事で「反対派のせいで建替え出来なかった」をはじめ、「事故は反対派のせい」というタイプの論は破綻していることを示した。 軍事や歴史を趣味にしていると時々「正義など無い」といった高みから見下ろすような諦観に出くわすことがある。勿論一面ではその通り。しかし、争いごとの当事者となるとどうしても正義を欲するのが人間でもある。以下に示すのはその実例。仇敵に倫理的責任を被せることで正義の確保を図った者達である。攻撃性が目に付くが、見方を変えるとある意味いじましく哀れさすら漂う。 パターンとして若干変化形もあるがそれらも解説を付す形で引用した。20例以上あるので長いですよ(当落選上と判定した例などは次回紹介)。 togetterなどでも積極的にコメントしている者が含まれる