こどものじかん。何度も言っていますが、このアニメは幼児の体に商品価値があると言う事を前提にしている。更に自分の価値に本人が気がついていると言う事が、しれっと行われている。これはある一定の事実と共に、恥ずかしいものでも在る為、具象化は難しいと思われていたのだけれど、このアニメにおいてはスラップスティックコメディとしてその価値を遺憾なく発揮する。 その一方で、この概念がいずれどこまでいけるのかという事について考えてみたいのだが。例えば、コンビニで10歳前後の幼児が水着で写っている DVDを30過ぎのおっさんが野面で買っても定員のギャルが眉一つ動かさずに、バーコードを打つような世の中になった時、そのおっさんの衝動(?)は本当に完結するのだろうか。これは、俗に言われる犯罪の抑制としての供給の是非の話だ。過剰供給の齎す犯罪。 私は、世の中のロリコンの大半…いや全員が、その欲に罪悪感を感じていると考え