タグ

2010年9月4日のブックマーク (2件)

  • ハートキャッチプリキュア 堪忍袋の緒が切れるまで

    『ハートキャッチプリキュア』 堪忍袋の緒が切れるまで ~デザトリアンの苦悩・敵幹部による否定的評価・プリキュアによる反論の一覧~ はじめに 論は、テレビ番組『ハートキャッチプリキュア』(東映・朝日)の戦闘シーンで定番となっているやりとりを、放送話分まとめ、若干の考察を付したものです。そのやりとりはおおよそ、(1)デザトリアン犠牲者による苦悩の吐露、(2)敵幹部によるその否定的評価、(3)プリキュアによる反論と犠牲者の弁護、の3つから構成されています。(考察文はその主要部を2010年9月に公開し、その後の放映分については一覧表に順次追加しています。) 作品の各話では、このやりとりに至るまでの展開も、ほぼ定型化されています。まず、各話に登場するゲスト(場合によってはレギュラー)が不安や葛藤によって心の花をしおれさせたところ、通りがかりの敵幹部にたまたま目をつけられて、その苦悩をデザトリア

    Imamu
    Imamu 2010/09/04
    悩みの言語化による症状改善=精神分析ぽい。デザトリアンによって抑圧が解放されプリキュアがそれを受容。奇妙なのはクライエント・セラピスト間にラポールが築かれてない状態で強制的に治療が始まってしまうこと
  • 女性アニソン歌詞における二人称「君(きみ)」について思うこと - flower in my head

    ここ最近、『セキレイ〜Pure Engagement〜』のOP曲がヘヴィ・ローテーションになっていて、iTunesに落として第1期OP曲と続けて聴いている。特に2期のほうはフェミニンなサウンドと曲調(あくまでも私個人の印象)で気に入っているのだが、耳馴染みになってくると、女性から(おそらく男性への)の二人称「君」が、この歌世界に、そしてアニメ編の世界観にも似合っていないのではと思うようになった。そもそも女性たちはいつ頃から「君」と歌うようになったのだろうか。 私は中学時代から洋楽ロックばかり聴いてウン十年近く経ち、2004年頃からアニメの楽しさを知りアニソンにも親しむようになったので、それ以前のアニソンやJ-POP(ようは日語で歌われるポップスやロック)についてはとんと疎いことをエクスキューズしておく。なので、全くの見当違いがあるかもしれないが、そこは平にご容赦を…。 まず、「女性+歌

    女性アニソン歌詞における二人称「君(きみ)」について思うこと - flower in my head
    Imamu
    Imamu 2010/09/04
    浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・「現代短歌最前線」(北瞑社)・1980年代は女性アイドル「あなた」?/谷山浩子,森田童子も君って使ってたな/