新しい男子像「カフェオレ様」って何だ? 電通が20代男子のファッション意識を調査:本当にいるの?(1/3 ページ) 「女性的な趣味や外見へのこだわりを持つ半面、女性への接し方や自己向上意欲において『オレ様』的な男らしさを持つ」――これが「カフェオレ様」、電通総研が5月2日に発表した20代男子の新しい男子像だ。4474人の若年男性(15~34歳)を対象にした「ファッション・美容意識実態調査」から得られたもので、「カフェオレ様マインドを持った層」が40.5%に及ぶとしている。 ここでいうカフェオレ様とは、「ファッション」「美容」ともに関心が高いと回答した人。どちらか一方に関心が高いとした人は「カフェオレ様予備軍」、どちらにも関心が低いと回答した人を「一般層」とした。割合でいうと、カフェオレ様が9.3%、カフェオレ様予備軍が31.2%、一般層が59.5%となった。 カフェオレ様の7大特徴 さて、
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■独自の世界観と創造性で社会に挑む 「デザイナーを取りあげた本は少なくないが、その仕事を正しく論じているものはそれほど多くない」 著者は、これまでの服飾文化史に挑戦状を叩(たた)き付ける。ポワレ、シャネル、ディオール、ヴィヴィアン・ウエストウッド、コム・デ・ギャルソンなど著名な10人のファッションデザイナーの足跡を紹介する。その視点と語り口が従来の人物評とは根本的に違うのだ。 デザイナーがどのような人生を送り、どのような作品をつくったかという事実関係だけを学んでも、ことの本質は見えてこない。彼らが、いかに独自の世界観を持ち、旧弊を打ち破ったのか。その創造性に光を当て、今では当たり前に見えるファッションが、発表当初はどれほど斬新で、社会に挑む試みであったかを知ることこそが重要だと著者はみる。 さらには、実際にどの国のどのような階層が彼らの服を受容して着こなしたのか、消費の局面を分析する。加え
→紀伊國屋書店で購入 「Butのいらない小説」 飲み会で学生に、「最近、おもしろい小説読んだ?」と訊いてみることがある。日本の小説。今、書かれている小説。そんな含みを持たせると、大学院生などかえって答にくいようだが、ときどき「あ、そういえば、金原ひとみはけっこう好きですよ」という答えが返ってくることがある。 この「あ、そういえば……」は、なるほど、よくわかるなあと思う。金原ひとみは、派手に騒がれたギャル小説家としてのデビューにしても、その『蛇にピアス』での、陰部にとんがったものが刺さるような道具立てにしても、文学をまじめに「勉強」する身には、正面から「大好きです!」「いいです!」と言いにくい気配が漂っている。野蛮だし、通俗的に見える。こういう小説をおもしろがってしまう自分はほんとに文学をわかっているのだろうか?とためらいが混じる。 しかし、この作家の強みはまさにそこにある。「勉強」の対象に
→紀伊國屋書店で購入 こかんわかしゅう。 まるで男色をテーマにした洒落本のタイトルのよう、と、副題には「男の裸は芸術か」。そう、これは男性裸体表現をめぐるいたって真面目な論考なのだった。 きっかけは、著者が赤羽駅前で発見した男性裸体彫刻である。その、ふたりの裸の青年の股間は、なんとも不思議な様子をしていた。からだの他の部分、へそや、鼠径部の窪みや、腰まわりの筋肉などは写実的であるのに、その部分だけはあやふやに、ぼんやり、もわわんと膨らんでいるだけ……名づけて「曖昧模っ糊り」、なんと見事なネーミングだろうか。 かくして著者は「股間若衆」をもとめて旅にでる。駅から駅、街から街、あるいは時をさかのぼり、明治期の美術展覧会場へ。 明治三十四年の第六回白馬会展で、黒田清輝の描いた裸婦像の下半分に布が巻き付けられたいわゆる「腰巻き事件」は広く知られた話。もちろん、男の裸だって取り締まられた。明治四十一
意外にも今回が初コラボとなる両番組。共に加地氏が手掛けているということで、ずっと以前に実現していてもおかしくなかったはずだが、ある種、意図的にコラボを控えていたように思える。「そうですね。確かにあえて控えていた部分はあります。お互いの番組が同等のコンテンツになったらやってみようという気持ちがありました」。 『アメトーーク!』と『ロンハー』は“姉妹番組”として形容され、双方の番組に出演する芸人も多い。だが、その“役割”はずいぶんと異なる。加地氏自身は両番組の棲み分けをどのように考えているのだろうか? 「『ロンハー』は出演する芸人それぞれがイジリ合って笑いを生む。逆に『アメトーーク!』は芸人同士が助け合いながら笑いを構築していく。有吉(弘行)は『アメトーーク!』で、“おしゃべりクソ野郎”に代表される毒舌とイジリ芸でブレイクしたじゃないですか? でも、その“イジリ”の部分が一番活かされるのが、実
マイケル・イグナティエフは、現在世界で最も影響力の大きな知識人の一人と目されている。 ジャーナリストとして冷戦後に民族浄化や内戦の現場を歩き、ハーバード大学教授を経て政界入りし、カナダ下院議員そして自由党党首を務めた。選挙での大敗の後にトロント大学教授となったが、それにしても特異な経歴だ。 本書が扱う問題は、9・11テロ以降デモクラシー国家でどのようにして、安全と自由のバランスをとるかである。テロリズムからの安全を確保するためには、拘留、拷問、予防的戦争が必要かもしれない。しかしそれを行えば市民的自由が制限される。他方で、市民的自由を絶対化すれば、テロリズムを未然に防げず、国民の生命を犠牲にするかもしれない。イグナティエフはあえて、その「中間にある立場」を選び、「道徳上の絶対主義にも、冷徹な現実主義にも加担しないように努めた」という。 それは、「より小さな悪(レッサー・イーヴィル)のモラリ
「ポーの一族」や「トーマの心臓」、「11人いる!」などの文学性高い作品で、従来のファンタジーやSF漫画の領域を広げたと評価される漫画家の萩尾望都さん(62歳)。「表現のジャンルとして漫画は、小説などより映画や音楽の方に近い」と話す萩尾さんの、紫綬褒章受章インタビューを全文掲載します。 聞き手は科学文化部・安井俊樹記者です Q)まず受章のご感想を。 まさか、いいんでしょうかほんとにって感じで、まだそのびっくりが続いているような感じです。本当にびっくりしています。 最初にお話を頂いたのが3月で、パリでやるサロン・ド・リーブル(書籍見本市)に出かけるために用意をしている最中でした。電話を受けて本当にびっくりしまして、自分が何を答えたかよくおぼえていないのですが、これはまだ公式ではないので、公式の発表があるまでは周りの誰にもおっしゃらないで下さいと言われて。仕事のスタッフだけに話をしましたが。
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