【詩と記憶ほか】 ぼくは記憶力がわるい。蓮実重彦はその細部まで憶えきっていることが自分の幸福と、ある映画について書いたが、ならば「失念は次善のしあわせ」だろう(そんな詩句がこんど利用開始されるぼくのオンデマンド詩集にもある)。 このところ年間回顧記事をもとめられることが多いので、もう絶対に再読しないと決めた詩集以外は、年単位で眼にとまりやすい場所へ平積みにしておく。必要以外には付箋を入れず、記事執筆時期の再読、再々読のときようやく付箋を入れる(付箋を入れると以後の読みが確定してしまうのでそうするのだ)。おどろくのは、つい数か月前に読んだものでさえ、素晴らしい詩集は、おぼろげな記憶との合致、という印象が多少あっても初読時とおなじ興奮をあたえてくれる点だ。このとき自分の記憶力のわるさを、逆説的だが天恵とかんじる。 むろんことばの組成が尋常ではなく、韻律による器への盛りこみもないから、(自由)詩