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2022年10月16日のブックマーク (4件)

  • 「ヴィジュアル系は音楽ジャンルじゃない」に俺だけが異を唱えている|江戸 大(Edo Dai)

    Photo by Laika Notebook 「ヴィジュアル系は音楽ジャンルではない」という説があります。 ファンレベルでは共通認識としてあったものの、長くはっきり言語化はされていなかったような気がします。それがメディア上でちょくちょく聞くようになったきっかけは、2017年10月8日に放送された『関ジャム 完全燃SHOW』の「関ジャム音楽史~ヴィジュアル系編~」での、ゴールデンボンバーの鬼龍院氏による「ヴィジュアル系は音楽ジャンルではなく、文化的要素が強い」発言だと思われます。YOSHIKI氏も2021年6月に行われたYOSHIKI CHANNELでのDAIGO氏との対談で同様の発言をしています。キズの来夢氏は2018年のインタビューで「ヴィジュアル系と言ってもいま、ジャンルとして確立できていないと思うんですよ」と言っています。また、2022年に発売された冬将軍氏の『知られざるヴィジュア

    「ヴィジュアル系は音楽ジャンルじゃない」に俺だけが異を唱えている|江戸 大(Edo Dai)
    Imamu
    Imamu 2022/10/16
  • 西澤千央 ひな壇というシステムは何をもたらしたのか――「アメトーーク!」を起点に考える|文化|中央公論.jp

    「アメトーーク!」という発明 3月3日のひな祭りに豪華段飾りを準備する家もだいぶ少なくなった令和。現代のひな壇は、各家庭ではなくテレビ局のスタジオにある。バラエティ番組の定番となった、ひな壇というシステム。司会はMCと呼ばれ、それ以外の複数のゲストは、段差のついた席に座り番組を盛り上げる。 ひな壇のルーツは「笑点」(日テレビ)の大喜利だと言われているが、視聴者に「ひな壇」という言葉をはっきりと示したのは、やはり「アメトーーク!」(テレビ朝日)ではないだろうか。一つの深夜バラエティ番組が提示したそのお笑いのスタイルは、のちの芸人たちの生き方まで左右する巨大なシステムとなっていった。 「この番組は発明だった」と言ったのは、2021年8月にネット配信された「アメトーーク!特別編 雨上がり決死隊解散報告会」での出川哲朗(てつろう)である。 テレビ朝日で「アメトーーク!」がスタートしたのは2003

    西澤千央 ひな壇というシステムは何をもたらしたのか――「アメトーーク!」を起点に考える|文化|中央公論.jp
  • Books | 映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形|西村紗知

    映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形 稲田豊史著 光文社新書 2022年4月出版 990円 Text by 西村紗知 (Sachi Nishimura) 近頃、コンテンツ受容の仕方に変化が起こっているらしい。「倍速視聴」といわれるもののことだが、「若者」は(実のところこの「若者」という言葉も、何歳から何歳まで、と具体的に決 まっているわけではない)、映画を早送りで見て、音楽でさえ早送りで聞くことがあるらしい。 デジタルネイティブ世代の中でも若い層である「Z世代」が、ある種の編集感覚に基づいて、コンテンツを意のままにしているのだろう。思えばゼロ年代に花開いた「n次創作」文化もすっかり定着し、今の10~20代は、TikTokに自分で編集した映像を挙げることも造作のないことなのかもしれない。こうした状況に伴いプライバシーや著作権のイメージもかなり変わってきて

    Books | 映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形|西村紗知
    Imamu
    Imamu 2022/10/16
    「倍速視聴は面白いという感受性は実際に存在するように思う。倍速視聴を好む人々にとってコンテンツは「作品」ではなく共に時間を過ごす「場」なのではないか。これはそれほど珍しい視点でもないと思うのだが」
  • 2022/10/13 - 偽日記@はてなブログ

    Netflixで『リコリス・リコイル』を観た。アニメを観て面白いと思えたのはずいぶん久しぶりだ。最後までちゃんと面白く、一定の納得を得られた。突出した傑作という感じではないが、日のアニメにおいて歴史的に蓄積されてきたさまざまな達成があることによって成立している高度な作品という感じ。 日のアニメでは、「美少女」という形象(イメージ)に、あまりに大きな負荷を負わせているし、あまりに強く依存してしまっているという問題があり、それをスルーすることはできない(世界の汚濁や毒を自己犠牲的に浄化する役割を期待されてしまっている)。しかし同時に、それによって可能になっている多くのことがあることも否定できない。この作品は、そのことに対する批評になっていると言えば言い過ぎだが、一種のアイロニーのようなあり方をしている。 この作品においてリコリス(≒美少女たち)は、世界の汚濁や毒を浄化するのではなく、単に

    2022/10/13 - 偽日記@はてなブログ
    Imamu
    Imamu 2022/10/16
    リコリス・リコイル“犠牲性や悲劇性が強調されない代わりに、それらが美しいものとして歌い上げられることが決してない。そこにも、この作品の「知性」”“他者からの贈与=刻まれた傷を誤読…「生きられた批評」”