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ブックマーク / maroyakasa.hatenadiary.org (3)

  • 新年明けまして非モテ。 - 九尾のネコ鞭

    久しぶりに、更新を再開し、年明けということで、年度の非モテがらみの活動に関し、私の立ち位置を述べたいと思う。 はっきり言って、私は、女の子と付き合いたいのである。お手手の皺と皺を合わせて、幸せ、なーむーとなりたいし、ほっぺやらリップにチュッチュしたいのである。オッパイを揉みしだいたり、舐め舐めしたいのである。おまんまんにおちんちんぼっきっきである。 私は恋愛そのものを否定していない。私は「恋愛こそ人間性のバロメータである」という考えをぶっ壊したいのである。 もうだいぶ前になるが、同期で海へ行くというイベントがあった。まぁ今なら間違いなく誘われないだろうが、当時はまだ、全員の名前も曖昧な状態であったから私ですら誘われたわけだ。 海岸に到着。砂浜に荷物を下ろす。荷物置き場の目の前に広がる海はサーファー用。海水浴ができる海は、少し歩いたところにある。逆側には、ビーチバレーコート。 つまり、海水

    新年明けまして非モテ。 - 九尾のネコ鞭
    Imamu
    Imamu 2007/01/02
    「モテるというのはスポーツみたいなもので」だからモテ/非モテと人格は関係ない。(それはモテ側も非モテ側も)
  • 九尾のネコ鞭: 現実でしょでしょ?

    いまさら「涼宮ハルヒの憂」を語るってのもどうかと思うが、惑星開発座談会で取り上げられていたので、雑談を読んだ感想などを書いてみる。と思ってから時間がさらにたってしまっていて、鮮度がだいぶ失われてしまったが、まぁ良い。 惑星開発座談会23回 - 涼宮ハルヒの憂 「涼宮ハルヒの憂」が「メタ萌えもの」であることにはもちろん同意だ。 この物語の登場人物は、誰も彼もが、どっかで見たことある典型的「萌えキャラ」だ。そいつらは、巨乳ドジッ子だの、綾波クローンだの、ツンデレだのであり、しかも超能力者やら宇宙人やら未来人やらである。盛り込みすぎだろ、ってくらいの盛り込みようである。 もしこれだけならば、「涼宮ハルヒの憂」は単なるサービス過剰な「萌えアニメ」なんだけれど、この作品が「メタ萌えもの」になっているのは、ヒロインの設定が特殊だからだ。 「涼宮ハルヒの憂」は、我々がいる現実の中に存在する虚構

    九尾のネコ鞭: 現実でしょでしょ?
    Imamu
    Imamu 2006/08/08
    ハルヒ「現実/虚構」の単純二元化批判。「本当は虚構を見ている時間だって現実なわけで」「私たちは現実から逃れられない」
  • 九尾のネコ鞭「会話はキャッチボール」の本当の意味

    「会話はキャッチボールなんだよ」ってのは良く聞くお説教だが、私は今までその意味合いを勘違いしてきたようだ。最近、ようやくそれが判明した。 私はこれまで、この言葉の意味を「一方的に話すな」と言う意味として捉えてきた。会話はスピーチじゃないんだから、こちらが喋った後は、相手も喋る。会話が行き交う。つまりキャッチボールなのであると。 だから私は、そんなことは当たり前じゃないか、と思ってきた。私はコミュニケーション不得手ではあるけれど、別に、自分が喋ったら即、耳をふさいで「あーあーあーあー、きこえなーい、きこえなーい、ぜんぜんきこえなーい」とか首を振り振り、叫んでいるわけじゃないのだ。キャッチボールはちゃんとやっている。訳の分からんお説教するな。そう思ってきた。 しかし、この捉え方が、根的なところで大きく間違っていることが判明した。 ポイントは「キャッチボール」という暗喩である。 良く考えてみれ

    九尾のネコ鞭「会話はキャッチボール」の本当の意味
    Imamu
    Imamu 2006/06/25
    キャッチボール→目標などない。ドッヂボール
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