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ブックマーク / mushimori.hatenadiary.org (4)

  • 『鋼の錬金術師』のエルリック兄弟はなぜ身体を失っているのかを考えるために-カラスを観る人の日記

    Apemanさんがご自身のブログの中で、「この国は被害者が叩かれやすいのではないか」ということを述べておられる。 http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20061130210135/index.htmlが「殺人事件が少ない代わりに自殺が多い社会」であるのは、被害者が自罰に走ってしまう傾向があるからではないか、と何度かここで書いた記憶があります。それはなぜかと考えると、一つには「犠牲者非難」が起きやすい社会だからじゃないか、と思うんですね。「苛められる方にも責任がある」というやつです。もしこの想定が正しければ、「復讐しろ」という主張はモラル保守のマッチポンプですね。 僕はこの見解はかなり的を得ているのではないかと思う。では、なぜこの国では「被害者」が叩かれやすいのか。それは「被害者」であることが

    『鋼の錬金術師』のエルリック兄弟はなぜ身体を失っているのかを考えるために-カラスを観る人の日記
    Imamu
    Imamu 2006/12/03
    ”「被害者」の「欠損状態」は「『欠損状態』を解消する物語」を発動させる””「欠損者」の自己実現物語はそうした「再生産」の秩序に「外部の価値観」を持ち込み、ムラの秩序を破壊してしまうものとして”
  • 通じ合えることと、通じ合える前提の不可視化 - mushimoriのノート

    大塚英志は最近色々な著作や対談で作家の舞城王太郎に言及している。具体的にどういうところに言及しているかというと、「共通語への志向」ということになるらしい。この指摘については僕は舞城の作品を読んでいなかったこともあってなかなか理解できなかったのだが、たまたまこの間読んだ舞城の『阿修羅ガール』の中にそれらしき箇所があった。作中に登場する《天の声》という2ちゃんねるをモチーフにした巨大匿名掲示板の書き込みが延々4ページにわたって描写される箇所である。 「鬼発見記念カキコ」「馬鹿ども!中学生を手当たり次第に車で轢くな!マジです。旧甲州街道大騒ぎ。シャレんなんね〜」「俺も見た。女の子の足片方潰れてた。今調布は超危険地帯。放たれたのは神か悪魔か綾辻行人か!」「誰だ綾辻行人って。つーか記念カキコです」「あ、マジで中学生轢かれてる。ははは」「工房です。厨房に刺されました。厨房殲滅してください。つーか病院ど

    通じ合えることと、通じ合える前提の不可視化 - mushimoriのノート
    Imamu
    Imamu 2006/10/24
    『ネットにおける「通じ合えることば」が単なる「空気読め」』『個々人が抱えるそれぞれの問題(それはある種の「生きづらさ」と言っていいかもしれない)を「社会」という枠組みの中に位置づけなおす試み』
  • ことばの構造

    大塚英志の『子供流離譚』をいま読んでいる途中なのだが、ここで書かれていることはいまの社会にもまったく言えるように思う。それで最近流行の*1「子供を守る」ことに関して、書を参考にして少し書いてみようと思う。 最近立て続けに幼い子供が犠牲となる事件が起こったのは事実である。朝日新聞が「子供を守る」などという特集を組んだりもして、地域でいかに子供を守るかということが大きく話題になったが、僕は正直に言ってその風潮にあまり好意的にはなれない。別に僕は子供を守ることそのものに対して異議を申し立てたいわけではないが、大きく盛り上がった「子供を守れ」の声はやはりどこか過敏であり、異常さを持っているように思う。 そもそも、大人たちは「子供」という存在に対してどういう視線を投げかけているのだろうかということが気になる。そのことを考える手がかりとして、酒鬼薔薇事件のあたりから延々と繰り返されている少年犯罪の「

    ことばの構造
    Imamu
    Imamu 2006/08/25
    子ども→異類視//子ども→<かわいいモノ>=無菌化
  • ことばの構造 - 他者と生きていくことに関する写し書きメモ

    2006-06-09で先日発表されていた文章を読んでいて、『小説トリッパー』の大塚英志と斎藤環の対談を思い出した。広田照幸の議論の中で僕が唯一同意できない点もここである。ただし「(元)登校拒否系」の主張にそのまま賛同するわけではない。 ひきこもりニートもまた、さまざまな差別・偏見の対象となっています。これに対して、「いや、それは彼らの実態からずれている。彼らの真の姿は○○だ」と反論する人々も現われてきました。しかし僕は、ひきこもりニートと分類される人々の「真の姿」が何であるのかということには興味がありません。偏見に反するような「実例」を指摘したり、統計的なデータで偏見を覆すことは、「良いニート」「悪いニート」を生み出すことでしょう。しかしどんな統計テクニックを駆使しようが、僕のようなダメ人間が一定数いることは否定しようがありません。2ちゃんねらーがよく知っているように、「ダメなやつは何

    ことばの構造 - 他者と生きていくことに関する写し書きメモ
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