今回の OFF 会では、たいへん伝統的な雰囲気の(展開例のひとつを体現している)若オタのひとを見ることができ、「ああ、まだこういう若いひとも居るんだ」と思ってある意味安心した、と同時にオタという受け皿の因業について若干考えさせられた。おれがかつて体感・研究し尽くした素体が、固有の身体的特徴と 2006 なりの問題意識を備えた人間として目の前に現れたようなかんじ。振る舞いが伝統的ということは、脆弱性も伝統的ということで、ある意味で「喋っていてとてもラク」というか、こういう状況を楽しく過ごすにはどうすればよいかがあらかじめわかっているので、ルーチンワークで処理してしまったような部分もかなりある。つまり、隣り合わせの自負と鬱屈を抱えたこの種の若オタというのは、基本的に自分の中に膨大な量の「設定」を抱えているものであるから、そういうひとと相対したおっさんオタとしては、特になにもせずただ話のきっかけ