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イエスに関するItisangoのブックマーク (2)

  • キリストはユダヤ教徒のつもりだったし、ムハンマドはキリスト教徒のつもりだった

    イエスはユダヤ教の教えを否定してない。 「律法学者ではなく、神に帰依すべき。大切なのは信仰」 と説いただけ。 人的には、自分こそが正しいユダヤ教徒のつもりだった。 イエスの死後400年、キリスト教は偶像崇拝に傾倒し、人々はイエスやマリアの像を拝むようになっていた。 イエスは神の子にしてヒトなのか、イエスは神なのか、マリアはキリストの母なのか神の母なのか、そんなことばかり大真面目に議論してた。 そんななか登場したのがムハンマド。 「いやいや、イエスが言ったように大切なのは信仰。偶像とか、イエスは神の子とか、そういうのはやめるべき」 と説いた。 ムハンマド自身はイエスの教えを否定してない。 で、今はこんなわけだが。 もうちょい仲良くしろよお前ら。

    キリストはユダヤ教徒のつもりだったし、ムハンマドはキリスト教徒のつもりだった
    Itisango
    Itisango 2015/11/26
    イエス様に新約聖書を読ませて感想を聞いてみたい。
  • 山は動くか::イエスの教え - hoshikuzu | star_dust の書斎

    tsibbur という「ラビ・ヘブライ語」の単語があります。 ラビ・ヘブライ語は第二神殿の時代以後でも日常的に理解されてきた言語のようです。なによりも、ラビ・ヘブライ語は神学上・律法上の討論をする際に、よく使われていたようです。律法学者などと対峙し論争したイエスもまた、当然知っていたことでしょう。 単語、tsibburには、聖書ヘブライ語的には「山」の意味があります。 単語、tsibburには、ラビヘブライ語的には「会衆」の意味があります。 新約聖書によれば、イエスが、信仰があれば山をも動かせると教えたそうですが、これは、来、「会衆」を動かせる、との教えだったのではないでしょうか。山を動かせるという教えに従って実際に信仰をもってして山を動かすことができた聖人などおりますまい。しかし、会衆を動かした聖人は多くいるはずです。 山が動くなどという変な教えを信ぜよと言うように・・・私はイエスを嘘

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