https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1222591922 敗戦後の民主化の流れの中で、教師たちにも無謀な戦争に協力した自分たちへの痛切な反省の念が共有されていました。1947年に結成された日教組が「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを掲げたのはそのためです。これは日教組の原点とも言うべき理念です。 このために、日教組傘下組織で行われる教育研究集会では、平和教育の分野が熱心に取り組まれ、マスコミもその動向に注目するという形が続きました。 1970年代に入ると、平和教育に取り組む教師たちの一部に、日本国民が被害者であるという側面だけでなく、特にアジア諸国に対しての加害者という側面に注目した教育実践が注目されるようになりました。その代表例が文京区立二中の社会科教師だった本多公栄氏(故人)の実践(後に『ぼくらの