被爆翌年、爆心地に草 長崎市が未確認写真150枚発見 [長崎県] 2013年10月22日(最終更新 2013年10月22日 14時25分) 爆心地を示す矢羽根状の目印。周りに植物が見られる原爆で崩壊した山里国民学校のそばに、簡易な民家が建ち始めている=米国立公文書館蔵 米国立公文書館で長崎原爆に関する資料を調査した長崎市の職員らが、これまで未確認だった写真150枚を見つけた。米国の原爆傷害調査委員会(現放射線影響研究所)の研究者だったポール・ヘンショー氏が撮影したとみられる40枚の中には、被爆翌年の爆心地付近を撮った写真があり、調査をした長崎原爆資料館の奥野正太郎学芸員は「復興の状況が分かる貴重な資料」としている。 ヘンショー氏が1946年12月に撮影したとみられる写真には、爆心地を示す目印の周辺に植物が生え、原爆で崩壊した山里国民学校の北西(現在の橋口町付近)に簡易な造りの民家が立つ光景