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戦争・紛争・軍事と歴史に関するJcmのブックマーク (342)

  • 真珠湾攻撃75年:「今曉開戰」に体震えた 元本社社員 | 毎日新聞

    「今曉(こんぎょう)、西太平洋で米英軍と開戰(かいせん)す」 破格の1面8段で伝えた縦見出しを、神戸市北区の元毎日新聞社員、西村保彦さん(90)が忘れる日はない。1941年12月8日、大阪毎日新聞(当時)が夕刊で報じた真珠湾攻撃だ。編集作業を補助する「給仕」だった西村さんは、記事をレイアウトする整理部員がつけたその見出しに驚いた。3年8カ月に及ぶ太平洋戦争の始まりだった。 しみの浮く当時の縮刷版の背表紙には「昭和16年12月」とある。「不思議です。戦後の出来事は山ほどあったのに、今の私には、この見出しをはじめ、戦争の記憶ばかり残っているのですから」。混迷の始まりを告げる大見出しに、15歳だったあの日を重ね合わせた。

    真珠湾攻撃75年:「今曉開戰」に体震えた 元本社社員 | 毎日新聞
  • 「スルメが私の戦争責任」 黒柳徹子さんの苦い記憶:朝日新聞デジタル

    女優の黒柳徹子さんと電話で話していたら、こんなことをおっしゃる。「私の故郷は青森県三戸郡の諏訪ノ平。そう決めています」 ベストセラーの「窓ぎわのトットちゃん」でもわかるように、黒柳さんは東京生まれの東京育ち。そのの最後にこうある。 「トットちゃんは、満員の疎開列車の中で、大人にはさまれながら、寝ていた」 列車が向かっていたのが諏訪ノ平(現南部町)なのだった。「徹子の部屋」のスタジオを訪ね、当時のことを聞いた。 疎開のきっかけは1945年3月10日、米軍の東京大空襲だったという。黒柳さんが11歳のときだ。 その数年前、母の実家がある北海道から帰る汽車で隣に座ったのが、諏訪ノ平で農業を営む沼畑周次郎さんだった。「あの木は何の木?」。窓の外を見ていた黒柳さんが声をあげると、「リンゴの木だよ」。「リンゴ好きかい?」「大好き!」「じゃ、送るから」 リンゴが届き、手紙のやりとりから、沼畑さんの息子が

    「スルメが私の戦争責任」 黒柳徹子さんの苦い記憶:朝日新聞デジタル
    Jcm
    Jcm 2016/08/14
    「スルメ欲しさに出征兵士に日章旗を振った」ことを戦争への荷担と認識されている。これ、物凄く大事な視点だと思う。