ある研究者は「ジェンダーは衣服のように脱ぎ着できるわけではない」と語っています。確かに、医療的、法的な面からみれば、紙面上の性を変えることはできるでしょう。ですが、元々縛り付けられていた社会的、文化的に構築された性である、ジェンダー、そして性別移行した際に期待される別のジェンダーというものは、どのような形であれ、常に残ります。 しかし、「服」そのものあるいはもっと広く「ファッション」についてはどうでしょうか? もちろん、ファッションもジェンダーの規範から自由なものではありません。ですが、ちょっとした「抜け道」はあるように思うのです。今回は、ファッションと性の関係性から、私たちが性的存在として社会を生きるための生存戦略を少し考えてみたいと思います。 ファッションとジェンダー規範のひねり 私たちは、日々、意識的にも、無意識的にも「女性らしさ」や「男性らしさ」という「ジェンダー規範」を社会から課
ネット空間、特にTwitterを中心にして、トランス女性が女性スペースを利用することへの差別的発言が昨今、散見されます。差別対象となっているトランス女性は、特に「未オペ」のトランス女性、言い換えれば、ペニスがまだ残っているトランス女性です。差別者の主張としては「ペニスをもったトランス女性は、ペニスがあるために、性暴力やハラスメントを犯す危険性がある」とまとめられるでしょう。 もちろん、トランス女性「全て」を犯罪者予備軍のようにみなすこの主張は、明かに暴論です(例えば、日本国籍の方が犯罪を犯したからといって「全て」の日本人が犯罪者予備軍となるわけではないです)。そもそも、ペニスの有無をどのように判断するのでしょうか。 今回は、身体の性とはそもそも何なのか、そして、「見た目問題」に身体の性の議論が移っているのではないか、という問いからこの問題を考えてみたいと思います。 身体の性の曖昧さ しばし
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く