世界中を驚かせた、金正恩氏の中国電撃訪問。なぜこのタイミングで正恩氏は訪中したのでしょうか。台湾出身の評論家・黄文雄さんは自身のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』で、中朝の思惑が一致したことをその理由として挙げるとともに、5月に予定されている米朝首脳会談については、日本が蚊帳の外に置かれることがないようアメリカとの連携を強めるべきだとしています。 ※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2018年3月27日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め3月分すべて無料のお試し購読をどうぞ。 プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう) 1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17
封殺された近現代史と貶められた大東亞戰爭‐知っていますか、この国が亡国という艱難に喘いでいた時代を‐ アメリカが大日本帝國に大東亜戦争(太平洋戦争)を仕掛けさせた当時、英国は印度、フランスはインドシナ、オランダはインドネシア、アメリカはフィリピンなどを植民地としていた。そして今まさに日本が白人によって滅びんとした時、貴方ならどうするだろう? 今日は昨日の予告通り、支那事変についてのエントリーを書きたいと思います。 それでは早速どうぞ。 【ポイント】 日本は日支を全面戦争へ導く共産主義勢力の策に嵌った。 昭和12年(1938年)7月7日、北京郊外の盧溝橋で夜間演習中の日本軍に夜10時から翌朝5時に渡って3度も支那軍(蒋介石率いる国民政府軍)側から不法射撃が浴びせられたことから、日支両軍が衝突する事件が起こりました。これが盧溝橋事件で、支那事変の発端となります。 この事件には、支那のもう一つの
中国海軍の最新攻撃型原子力潜水艦がこのほど、日本の接続水域に進入し、その後日本沖縄県付近の東シナ海の公海で浮上して国旗を掲げた。軍事的に、潜水艦のステルス性が非常に重要視されているため、中国国内では潜水艦の公海での浮上・国旗掲げの理由をめぐって、推測が飛び交った。 防衛省の発表によると10日、海上自衛隊護衛艦および第5航空群所属「P-3C」 哨戒機が沖縄県宮古島の東北東の接続水域を北西に進む潜没潜水艦を確認した。海上自衛隊は、2日間同潜水艦を追跡をした。12日午後、海上自衛隊は、中国と日本が領有権をめぐって対立する沖縄県尖閣諸島(中国名、釣魚島)北西の東シナ海の公海で浮上し中国国旗を掲げている同潜水艦の様子を確認した。 小野寺五典・防衛相は15日、中国の潜水艦は「商級」と呼ばれる093型原子力潜水艦だとの分析結果を発表した。中国海軍の新型の攻撃型原潜で、全長110メートル、水中での排水量は
(CNN) ローマ法王フランシスコが、長崎原爆投下の被害者の姿をとらえた1945年の写真をカードに印刷して配布するよう指示を出していることが1日までにわかった。カードの裏には、法王の要請により「戦争が生み出したもの」という言葉が記載されている。 この写真は、死亡した弟を背負いながら火葬場で順番を待つ1人の少年の姿をとらえたもの。第2次世界大戦末期に原爆が投下された直後、米海兵隊の従軍カメラマン、ジョー・オダネルさんにより撮影された。 法王は今回、カードの裏に自身の署名とともに「戦争が生み出したもの」という言葉を記載するよう要請した。 写真の内容と由来は短いキャプションにより説明。「幼い少年の悲しみはただ、血のにじんだ唇をかみしめるその身ぶりの中にのみ表現されている」などと記している。
福島瑞穂先生からの出題です。 問1. 以下のツイートを読み、何処で何が行われたか答えよ. 「国会前の朝鮮半島で戦争をするなの集会での挨拶です」 国会前の朝鮮半島で戦争をするなの集会での挨拶です https://t.co/zkcbruVZ0x — 福島みずほ 参議院議員 社民党党首 (@mizuhofukushima) November 16, 2017 これは日本の義務教育を受けた程度では、正確な解答を導き出すことは極めて困難である。 余りにも難解である。 おそらく、正解は以下に近いものと思われるが、 国会前で行われた集会「朝鮮半島で戦争をするな」で挨拶をしました 福島瑞穂先生からは、もう1問出題されています。 深すぎて理解不能なミズホ文学 2問目は比較的簡単、初級レベルと言えるでしょう。 問2. 以下のツイートを読み、何処で何が行われたか答えよ. 母親が書いて絵の前で。 母親が書いて絵の
1989年に韓国で出版された「北の人々」は、韓国写真史の大きな転機となった。写真芸術と言えば、海からの日が昇る写真のような風景やヌードを連想していた時代、「ドキュメンタリー写真」という新たなジャンルを開拓する契機となった写真集だ。写真専門出版社「ヌンビッ」(眼光の意)の最初の作品でもある。 きれいなだけの風景写真より、写真が持つ最も大きな力、すなわち「記録性」に忠実にこだわったヌンビッ出版社の進路を決めた写真集でもある。フランスの映画監督であり写真作家でもあるクリス・マルケルが、朝鮮戦争が休戦したばかりの1950年代に北朝鮮を訪れて撮影した約140点のモノクロ写真は、韓国写真界に大きな波紋を起こした。当時の北朝鮮は、国土再建を通じてようやく戦争の傷跡から立ち上がろうとしていた時期で、青い目の西洋人が「私たちが最初に会った朝鮮の女性は、空から降りてきた」と敬意を抱いて「北の人々」をレンズに収
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