中国では、 明代後期の朱載堉(1536年 - 1611年)は、伝統的な十二律の求め方である三分損益法を批判し、万暦12年(1584年)に『律学新説』の中で、新しい方法「新法密率」を提唱した[2]。これが2の12乗根に基づく平均律の算出の最初の例である。朱載堉の計算方法は、まずオクターヴを平方根で2等分して増4度/減5度(3全音)を得、次いでそれを平方根で2等分して短3度(1全音と半音)を得、最後にこれを立方根で3等分して短2度(半音)を得るものである。彼はその計算結果を25桁の数で記述した。 この背景としては、まず前漢末の京房によるピタゴラス・コンマの認識があった。京房の解決では『続漢書』や『宋書』の律暦志にあるように、従来の三分損益を多重に繰り返して近似精度を高めて六十律を作り、南北朝時代の宋の元嘉年間の銭楽之は更にそれを推し進めて三百六十律を作ったが、煩雑すぎていずれも実際の音楽の演奏