平将門は、平安時代中期の903年(延喜3年)生まれ。桓武天皇の血筋を引く5世です。桓武天皇のひ孫にあたる「高望王」(たかもちおう)が「平」姓を賜って臣籍に入り、「上総国」(かずさのくに:現在の千葉県中部)の国司を務めました。 この高望王の子供は全部で5人。「良文」(よしふみ)・「良正」(よしまさ)・「良将」(よしまさ)・「良兼」(よしかね)・「国香」(くにか)です。良将が将門の父で、「下総国佐倉」(しもうさのくにさくら:現在の千葉県北部)を所領していました。 そんな良将を父に持つ将門は、15歳で京に上ります。藤原北家・「忠平」(ただひら)の従者となり、京内外の犯罪を取り締まる「検非違使」(けびいし)を志願しますが叶わず、官位も低く、天皇の護衛をする「滝口の武士」に留まっていました。 決して実力不足と言う訳ではなく、この時代には「律令制」(りつりょうせい)が崩れ始め、天皇をとりまく貴族の中で
蘭奢待は聖武天皇ゆかりの宝物を集めた正倉院に現在も収蔵されている。 正倉院の目録上の名前は「黄熟香(おうじゅくこう)」。全長156cm、最大径は43cmと、成人女性ほどもある巨大な沈香(じんこう)で、原産地はベトナムからラオスにかけての山岳部とされている。 沈香はジンチョウゲ科の樹木が幹の中に分泌した樹脂成分を採取した物。樹脂は、傷ついたり、害虫に食われたり、風雨にさらされたりすることに対する生体防衛反応として分泌され、1000年以上の年月を経てようやく採取できるようになる。中でも質の良い物は伽羅(きゃら)と呼ばれ、現代においては金の5倍以上の価格で取引されている貴重品だ。 聖武天皇によって名付けられた蘭奢待という雅名には、自身が創建した東大寺と「黄熟香」への愛情が感じられる。 良い香りを意味する「蘭麝(らんじゃ)」という言葉をもじった物と考えられ、「蘭」、「奢」、「待」の各文字には、それ
奈良県天理市布留町の高台にある石上神宮は、伊勢神宮と同様に我が国最古の神社のひとつに数えられ、「古事記」、「日本書紀」にも記載されています。 3世紀後半の崇神(すじん)天皇7年、物部伊香色雄命(もののべのいかがしこおのみこと)によって創建されたと伝えられ、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)、布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)を祭神(その神社で祀ってある神)としている神社です。 日本書紀によると、第11代垂仁天皇39年に、垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇子である五十瓊敷命(いしきのみこと)が1千口の刀剣を作って石上神宮に納め、そのまま石上神宮の神宝を管理した、とあります。 その後皇子は、神宝の管理を妹の大中姫命(おおなかつひめのみこと)に任せますが、大中姫命は物部氏(もののべし)に管理を委譲します。このため物部氏が石上神宮を管掌(自分の管轄の仕
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