今で言う所の新宿区若葉二丁目、三丁目、南元町一帯はかつて「鮫河橋」という地名で呼ばれていた場所だ。大きく切り込んだ谷戸地が南側から伸びていて、谷底には鄙びた下町の商店街、その両側を寺町で覆い尽くされた、一見すると独特な空間だ。 この鮫河橋、上野の下谷万年町、浜松町の芝新網町と並んで江戸時代から戦前にかけて東京で「三大貧民窟」の一つに数えられていたという暗い歴史を背負っている。 貧民窟と聞いて黙っていられない東京DEEP案内取材班は、かつてのスラム街だった名残りを求めて四谷鮫河橋を幾度となく訪れた。もちろん現在はスラム街という事もなく、むしろ都心の一等地にあって高級マンションが立ち並ぶような場所となってしまっている。 街を探索する前に、四谷の総鎮守である須賀神社を訪れた。 四谷鮫河橋の街並みを見下ろすような形で社殿を構える須賀神社の男坂。高低差のある谷戸地を一気に貫く直線階段が眼前に迫る。