NHKのノーベル賞解説サイトでの、キズナアイの使われ方についての記事を書いた(ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネットで炎上中【追記あり】)。 多くの感想を寄せられ、なるほどと思ったので、改めて考えた。「表現の自由」についてである。 1.キズナアイそのものに、問題があるわけではない。私が問題にしているのは、まずキズナアイそのものではない。 「キズナアイを嫌いだからといってすべてのひとに押し付けないで欲しい」という意見を寄せられたが、キズナアイ、個人的には可愛らしいと思う。このようなキズナアイを好きな人もいるだろう。思う存分、ひとりでキズナアイを愛でて欲しい。 2.女子と理系私が問題にしたいのは、そのキズナアイが置かれた場所である。 1)子どもを対象にした 2)教育的な教材で 3)女性は理系が苦手だというステレオタイプがあり 4)実際に女性の多くが理系に進まないという現実
キズナアイ批判に対しては、近代美術史家の松下哲也氏もさすがに怒っているようです。 (10/4追記)なお松下氏はフェミニズム観点からキャラ絵の造形や性格付けを批判すること自体は賛成しています。 問題視しているのは暴論レベルの解釈での萌え絵批判が横行していることです。
なぜなら魂があるから。 例えばやる夫やゆっくりだったら、作者次第でどんな専門的な解説だってできる。 実際、「やる夫と学ぶ〇〇(〇〇には専門的な内容が入る)」みたいなスレはたくさんある。 ニコニコ動画を見ると、様々な初音ミクがいる。歌ったり踊ったりはもちろん、 拳で闘ったり武器を振り回したりするミクさんもいる。ミクさんは仕事を選ば(べ)ない。 やる夫やゆっくりや初音ミクの魂は空洞になっていて、 そこにアニオタが入ればアニオタのやる夫が、軍事ヲタが入れば軍事ヲタのゆっくりができる。 科学ジャーナリストの魂を入れれば、ミクさんによるノーベル賞の解説だってできるだろう。 しかし、キズナアイやその他のVTuberの魂は空洞ではない。そこにはすでに1つの(1つだけの)魂がある。 だから、ノーベル賞の解説はできない。聞き役に徹することしかできない。 キズナアイの仕事は選ぶのだ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く