前回の著作で私が出した仮説は、こうだった。 親密な関係(ランダムではなく特定の人物との関係を積み重ねていくタイプの関係)には、メンタルな満足を効率的に産出するという合理性がある。だから市場や政府による配分原理が適用される公的世界とは別に親密な関係の領域は残っているし、これからも政府や市場に回収されずに残るだろう。 たとえば悩みを共有したりすることから得られるメンタルサポートは、人の幸福度に強く影響することがわかっている。そして、こういったサポート関係は市場や政府から供給される匿名的(交換可能)なサービスから効率的に提供されない。一般に匿名的関係からは効率的に提供されないサービスのことを親密財と呼ぶとすると、公的配分原理は親密財の供給に失敗する。(市場が供給に失敗するのが公共財で、これは政府が供給する。市場も政府も供給できないものが親密財。) ...ただまあ、仮説なんですけどね。しかしゼリザ