佐田彦神の神名については、猿田彦神は、猿島(さしま)・猿投(さなげ)等の例から、「猿田」は元は「サタ」と読んだという説がある。この説に依ると「サ田」は、「サ穂」 「サ苗」などの場合と同様に、神聖な稲を植える田の義と解されている[2]。 神名が「佐田彦神」になるのは明治以降で、室町時代の『二十二社註式』の伏見稲荷の条では「猿田彦神」である[3]。神社には上社と下社の二社、あるいは中社を加えた三社の形式を取るものがあり、これらの多くは上中下を何で区別しているかは不明(神社#上社・下社参照)だが、同書では、「上社。猿田彦命。三千世界の地主神とは是れなり。」と説明される。 また、江戸時代の『雍州府志』では、伏見稲荷の上社の神を「大田命」(おおたのみこと)としている。この神は猿田彦神の子孫で、伊勢の五十鈴原の地主神である(猿田彦神の別名ともいわれる)。 同じく江戸時代の『神社啓蒙』では、上社の神は「