広義では,本当は事実でないことを社会的効用などの理由から事実であるとみなして物事を説明することである。この意味での擬制は,一方で事実を事実として物事を説明しようとする態度と区別されると同時に,少なくとも最初に説明するものはそれが事実でないことを自覚している点で,事実でないことを事実と信じて物事を説明する神話的説明とも異なる。しかし擬制と神話的説明との区別は相対的であり,最初擬制として説明されたことが後に神話的に説明されうるし,またその逆もありうる。たとえば,近代における国家の概念は最初は国民生活を統合するなどの必要から生じた人為の産物とみなされた(擬制)が,後に個々人を超越した真実在と信じられるに至った(神話的説明)ことなどは,その例である。 これに対して,擬制は法の世界では,既存のルールが現実の生活に合致しなくなったけれどもいまだそれを改廃することが困難な場合に,実際上の不都合を避けるた
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