2007年12月22日に亡くなられた民主党の故山本孝史参議院議員に送られた追悼演説です。 発言者は自民党参議院議員会長の尾辻秀久(元厚生労働大臣)議員。 尾辻氏は「最も手ごわい政策論争の相手だった」と述べ、また党派の垣根を超え、がん対策や自殺対策に奔走したことを偲んだ。 通常国会議員逝去の場合、属する院において失礼ながら事務的に追悼演説が行われるが、これほどまでに気持のこもった演説は過去に例がありません。
弔辞 8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに本当に残念です。 われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。『赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。』この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く