2014年2月10日のブックマーク (5件)

  • 上村がカーニーに負けた理由 - ソチ五輪2014

    荻島弘一編集委員が日々の話題、トピックスを取り上げる社会派コラム。これまでの取 材経験を絡め、批評や感じたことを鋭く切り込む。 ◆荻島弘一(おぎしま・ひろかず)1960年(昭35)9月22日、東京都生まれ。84年に入社し、整理部を経てスポーツ部。五輪、サッカー などを取材し、96年からデスクとなる。出版社編集長を経て、05年に編集委員として現場の取材に戻る。 モーグル女子の上村愛子が、またメダルを逃した。18歳で初出場した98年長野五輪で7位、以後大会ごとに6位、5位、4位と順位を上げて5大会目を迎えていた。06年トリノ大会では「そろそろ(メダルを)もらえると思っていたのに」と目を腫らし、10年バンクーバー大会では「なんで一段一段なんだろう」と涙した。しかし、今度はその一段が上がれなかった。 女王カーニーが滑り終えた時、上村は銅メダルだと思った。滑りがきれいだったし、スピードも速かったから

    上村がカーニーに負けた理由 - ソチ五輪2014
    KaKa_HondArteta
    KaKa_HondArteta 2014/02/10
    なるほどなー。
  • バルサ退団はメッシが原因!? 知られざるペップの姿とは | COACH UNITED(コーチ・ユナイテッド)

    <内容紹介> オビの背表紙側には、こんな言葉が書かれている。「ペップでさえ、人知れず苦しんできた」。そう、聖人君子のようなイメージのあるペップ・グアルディオラでさえも、時には愛憎にまみれ、最大のライバルであるジョゼ・モウリーニョとの関係を読み解いていくことで知られざる一面が浮かび上がってくる。そして、彼の退団の原因は、なんとリオネル・メッシとの歪んだ関係が一つの原因だった......? 英語版、スペイン語版、カタルーニャ語版、ドイツ語版が出版されており、 世界中のサッカーファンに広く読まれている濃厚な伝記の邦訳がついに登場! 【目次】 サー・アレックス・ファーガソンによるまえがき [序章]ローマとニヨンでのハイライト/ローマでの欧州制覇/サー・アレックス・ファーガソンへの返答 [1章]なぜバルサを去らなければならなかったのか?/いくつかの理由 他 [2章]村の広場からカンプ・ノウの監督室へ

    バルサ退団はメッシが原因!? 知られざるペップの姿とは | COACH UNITED(コーチ・ユナイテッド)
  • 次世代のベッカム誕生か。アーセナルのラムジーがモデル契約

    次世代のベッカム誕生か。アーセナルのラムジーがモデル契約 アーセナルのウェールズ代表MFアーロン・ラムジー(23)が30日、ロンドンのファッションモデル事務所「エリート」と契約を結び、英国サッカー界における次世代のトップモデルに名乗りを上げた。 2014年02月10日(月)7時30分配信 text by 藤井重隆 By Shigetaka Fujii photo Kazhito Yamada / Kaz Photography タグ: アーセナル, アーロン・ラムジー, イングランド, デイビッド・ベッカム, プレミアリーグ

    次世代のベッカム誕生か。アーセナルのラムジーがモデル契約
    KaKa_HondArteta
    KaKa_HondArteta 2014/02/10
    さすがラムジー
  • 頼みごとを“快く引き受けてもらえる”フレーズ集

    何げない一言が相手に好印象を与えたり、予想だにしなかった地雷を踏んでしまったり。げに、コミュニケーションは難しい。そこで、どんなもの言いが、お得に効果的なのかを考えてみた! 【頼む】 頼み事は厄介なことほど切り出しにくい。だからか、自分なりの決め言葉を考えている人も多い。 「その人の実力を買ってなくても『○○さんだけが頼りなんです』と言い、仕事がマンネリ化している相手には『○○さんなら安心して頼めます』と持ち上げると、手を抜かれない」(30歳・男・IT)、「日頃から『○○さんには感謝してます』と伝えておくと、ムリも言いやすい」(37歳・男・出版)。 とまあ、多いのは「あなたを見込んで!」を強調するフレーズだ。 「人は期待されると自尊心がくすぐられ、断りにくくなります。さらに『キミだから~』という限定的な言葉も追加すると、より用件を受け入れやすくなる」(ビジネス心理研究家の神岡真司氏) この

    頼みごとを“快く引き受けてもらえる”フレーズ集
  • シャフタール所属のFWマイコンが自動車事故死…享年25歳 | サッカーキング

    シャフタールに所属するブラジル人FWマイコンが8日、自動車事故により死去した。享年25歳。 ブラジルメディア『グローボ』は現地メディアからの情報として、事故の詳細を伝え、ドネツク市内を走行していたマイコンは、車の制御を失い、時速約110キロで対向車線に進入し、別の車両と正面衝突したと見られている。対向車の運転手は全身を強く打ち、複数の骨折を負い搬送され、マイコンは現場で息を引き取った模様だ。 クラブは、「才能があり、オープンでフレンドリーな人間でした。人生を愛し、ポジティブで明るくなるための術を知っていました。悲劇的で早すぎる死は、我々から素晴らしい人間を奪っていきました。ご家族や友人に哀悼の意を表します。安らかに」と声明を発表している。 2005年にフルミネンセのユースでキャリアをスタートさせたマイコンは、2009年にウクライナのヴォリン・ルーツィクに加入。2011年にはルーマニアのステ

    シャフタール所属のFWマイコンが自動車事故死…享年25歳 | サッカーキング