2020年12月20日のブックマーク (2件)

  • 「死者2000万人超は人類史上最大」いまの中国にも残る"太平天国"という未解決問題 中国の一党独裁の源流はここにある

    太平天国の乱とは何だったのか 14年にわたる太平天国の内戦は1864年に終わった。戦場となった地域とくに江南三省(江蘇、安徽、浙江)の被害は大きく、江蘇だけで死者は2000万人を超えた。読書人たちは流亡の苦しみに遭い、死んだ男女を「忠義」を尽くした者や「烈女」として顕彰した。死者の記憶は儒教を中心とする伝統文化の再興という形をとって伝えられた。 清朝は南京占領後も太平天国の生き残りに対する捜索と弾圧を続けた。捻軍などの反乱勢力と合流して抵抗を続けた者はやがて敗北した。楊輔清は上海からマカオへ脱出し、10年間潜伏した後に捕らえられた。また逃亡先の香港で李世賢の軍を支援しようとして捕まった者、苦力(クーリー)となってキューバへ移住した者のエピソードもある。 太平天国に献策したことが発覚して清朝の追及を受けた王韜は、逃亡先の香港でキリスト教と儒教の接点を追い求めた。南京を訪問して太平天国の近代化

    「死者2000万人超は人類史上最大」いまの中国にも残る"太平天国"という未解決問題 中国の一党独裁の源流はここにある
  • 『未解決事件を追え!#1』

    『岡山鍾乳洞行方不明事件』 2008年1月5日午後18:10頃、ひめさか鍾乳穴(鍾乳洞)に入ってた学生グループから、高知大学3年生(21)が地底湖で遊泳中に行方不明になったと110番通報があった。グループは行方不明になった大学生を含む5名で洞窟内に入り、奥行1.6kmにある深さ32mの地底湖を探索。行方不明になった男子大学生が着衣のまま遊泳してたところ、忽然と姿が見えなくなったという。残ったメンバー4人が捜索するも発見できず、片道3時間の道のりをかけて洞窟入口から出て救助要請をした。県警は30人体制で連日捜索するも、現場の地底湖まで3時間かかる難所であり、地底湖も白く濁って流れが速い事から二次災害の恐れもあり、数日後捜索を打ち切った。 ここまでは、普通の遭難事故として終っても不思議ではなかったが、、、 この事故がインターネット上で故意の事故、要するに事件ではないか?と注目を集めていくことに

    『未解決事件を追え!#1』