木村さんの記事で比較優位の問題を説明していた。 直觀に反する眞理 http://d.hatena.ne.jp/KnightLiberty/20100530/p1 ここでちょっと補足しておこう。 比較優位の原理は、多くの経済学者が言うように著観的に理解するのはちょっと大変だったりするし、東大の経済学教授が堂々と新聞でまちがった説明を書いていたりするくらいだ。 木村さんが取り上げていたのは次のような例だ。 例1) パン 服 太郎 12個 6着 次郎 6個 2着 値は12時間当たりに作れる数とする。 この場合、次郎は比較優位の原理に基づいてパンを作ることに特化する。 では、なぜ、次郎はパンを選ぶのか? これは比較優位の意味なのだが、太郎はパンの生産性は服に対して2だが 次郎は3ある。その意味で、太郎に対し、パンに比較優位があるということなのだ。 ここで、太郎は次郎にかまわず、そのままの生産
バウチャーの問題について、木村さんの議論が一区切りついたようなので、ちょっと思うところを書いてみる。 私も基本的にバウチャーは全くベストではないと考えているが、これはやはり新潟よりは静岡、名古屋に近い目標だろうと思う。 ミルトン・フリードマンもそう考えてバウチャーを考えたのだと思う。 ただこれはアメリカでも例外的な導入しかされていないから、これが実施される際にさらなる政治的妥協がなされて、バウチャー制度が歪められる危険性は確かにあるとおもう。 しかし、この制度は、素直に実施されたのなら、選択の自由を高める上ではやはり今よりもマシな方法である。 今まで、国民→文部省→学校とながれていた税金を、国民→学校とすることで、学校に対する選択圧がかかることは事実だろう。 学校システムという公共システムは100年1日のようなシステムで、これに変化を起こすことは必要だ。 バウチャー制度が次善のステップだと
5月6日、亀井金融担当相は、ギリシャの財政危機に言及し「ギリシャの国債と日本の国債の状況は全然違う」との見方を示した。昨年12月撮影(2010年 ロイター/Yuriko Nakao) [東京 7日 ロイター] 亀井静香郵政・金融担当相は7日の閣議後会見で、ギリシャの財政危機に言及し「ギリシャの国債と日本の国債の状況は全然違う」との見方を示した。 その上で「ギリシャの国債発行がある面で破たんした状況をもって、日本も国債残高が高いから大変だと短絡的な受け止め方をすると、本来起きなくていい混乱が起きる」と指摘した。 亀井担当相は、日本国債の9割超が国内で消化されているほか、長期金利が世界的に低い水準にあると指摘し「日本は国に金を貸すだけの力がある。ギリシャは国力がないから外国から借金した。そうした違いがある。日本は米国債も買っている」と主張した。 ギリシャの財政危機による株価などへの影響は日本も
今、リバタリアンのシンクタンクもどきを作るかどうかという懸案事項があり、実はまだ何も考えていないのだが、この連休中に少しは行動に移そうかと思っている。 実は私は、リバタリアンシンクタンクもどきを作ろうと思ったことが過去にもある。 お恥ずかしながら、あの滑稽極まりないバカ丸出しのトンデモ大賞作家の副島隆彦とリバタリアンサイト作ろうとしたのが最初であった。もうかれこれ10年以上前のことだ。 言い訳をすれば、そのころは、私は副島がそこまでイカれた本物のバカだとは知らなかったのだ。しかし、副島が本当のいかれた馬鹿であることはすぐに判明した。 リバタリアンサイトを作ろうと思って副島に声をかけた結果が、あの副島のバカサイトになっていったのだから、なんともお恥ずかしい限りではある。もとより、あのサイトには私は直接はタッチしてないのではあるが、あのバカをあそこまで増長させた責任の一端は私にもあるのかもしれ
40代中年男がいきなり漫画を描き始めてはたしてデビューできるのか?コネなし、才能なしの40代漫画家志望者の中年会社員です。 何かのブログで全くの素人でも1000枚漫画を描けば、プロデビューできると描いてありました。 はたして、これが可能なのか実証しようと思いこのブログを描き始めました。 あと自分のスケジュール管理も目的。 資本主義には長い歴史があるような錯覚があるが、実はそれほど長くはない。 事実上の資本主義型の社会が生まれたのは、封建制が解体したあとなので、たかだた数百年である。 それ以前は、余剰生産物を市場で交換する行為自体が一般的ではなかったのだ。 今回の金融恐慌で市場原理主義が崩壊したことになっているが、実際、アカデミックな経済学の 分野で市場原理主義などを唱えていた学者はいないと思う。 ここ、数十年の経済学の蓄積により市場に任せておけば 自動的に資源が適切に配分されてみんなハッピ
近年の日本においては、左上はリベラル・左下はファシズム・右上は新自由主義・右下は保守などとも呼ばれる[1]。 ノーラン・チャート(英語: Nolan Chart)とは、アメリカのリバタリアン党の創設者でも有名なデイヴィッド・ノーランによって広められた政治思想の概念図である。ノーランはリバタリアニズムを経済的自由と個人的自由の両方を支持するものとして定義し、彼によれば、個人的自由のみを擁護する左翼-リベラルと、経済的自由のみを擁護する右翼-保守とを対比させることにより図式化した。 ノーラン・チャートには、右翼と左翼という伝統的な政治分類とは異なり、経済的自由を表すX軸と個人的自由を表すY軸とがある。ノーランは左下の領域に位置する政治哲学をポピュリズムと呼んだが、多くの人々は代わりに権威主義あるいは全体主義と呼んだ。
リバタリアンVSコミュニタリアンの構図の中でリバタリアニズムがもつ公共哲学はロックの私的所有権の思想をその根拠としています。 その思想はまたアメリカという国の国の建国に深くかかわる思想でありコミュニタリアンのマイケル・サンデル教授はリバタリアンの考え方にメスを入れていきます。 政府や法が存在しない状態でも、私有財産権が生ずるというロックの考え方はどうだろうか。 成功しているだろうか、説得力があると思う人は・・・・・ ハーバード白熱教室第4回目「この土地は誰のもの?」の前半Lecture7「土地略奪に正義はあるか」のサンデル教授の講義が行われ、続いて学生の事前学習での理解を確認する論争へと入ります。 同意なし私有財産権が生じるというロックの説明には、どこに問題があるのか。 サンデル先生は、それぞれの論点を提起しながら学生の意見を聞いていきます。はじめにロシェルという女学生が意見を述べます。の
年金制度は、子ども手当と同じ強制的な所得トランスファー政策、つまりバラマキであるが、その額は一桁多い。子ども手当が6兆として、年金は40兆とかのオーダーだ。 年金は強制的制度だから、ようするに再配分のための税と同じである。 この年金に対して廃止が政治家から上がることはまずない。そんなことを言ったら、当選できなくなる。 国民も年金はワケの分からない複雑なもので、修正積立方式とかきいて、ベースは積立運用されているものと思っている。だから払った分は最低もらえて当然と勘違いしているのだ。 この手の誤解は、そこらの自称経済学者の経済評論家連中も同様だろう。 子ども手当も早く廃案にしないと、既得権と化して撤廃が困難になる。 しかし、政府の年金制度をやめることは不可能なことではないだろう。今後10年で段階的に廃止するといった形をとればできなことはないはずだ。だが、これはあまりに巨大な既得権であるがために
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く