米軍が1945年7月、三重県四日市市に投下した模擬原爆について、市立下野(しもの)小学校教諭早川寛司(かんじ)さん(56)は着弾地点を突き止めたのに続き、爆発で亡くなったとみられる2人の身元を割り出した。同所に住んでいた軍属の夫の元に、疎開先の同県旧美杉村(現・津市)から会いに来た妻子で、当時の様子も遺族から聞き取った。 模擬原爆は45年7月20日~8月14日、原爆を正確に照準地に投下するための練習として、18都府県の49カ所に繰り返し落とされた。 早川さんは四日市市の模擬原爆について、「犠牲者を特定して弔おう」と追跡していた。約40年前に出版された同県の戦争体験の手記から「真っ黒な雨傘をさかさまにしたような爆弾」という、ずんぐりした模擬原爆らしい形容の記述を見つけた。手記に記された時間帯や場所も、これまでの早川さんらによる現場での聞き取り調査と一致した。手記の筆者の家族を通じ、遺族にたど