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考察に関するKshi_Kshiのブックマーク (5)

  • 自分と他人の区別がつかない人の話 - 価値のない話

    2014-08-20 自分と他人の区別がつかない人の話 このブログでしばしば「自分と他人の区別がつかない」という表現をしているけれど、それがどういう意味で使っているのか書いたことがないので書いてみる。 よく家庭板とかで見るトラブルママ報告を見るたびに「この手の人はいてもおかしくない」と肝に銘じるくらい、自分はそういう人に絡まれやすい。両親いわく「お人よしで何でも言うこと聞いてくれそうな顔だから」だそうだ。実際2ヶ月に一回くらいのペースで道を尋ねられる。「地元っぽい顔」「何でも知ってそうな顔」らしいけれど、さすがに学生時代初めて池袋に着いてキョロキョロしているとき「西口はどっちですか」っておばあさんに聞かれた時はビックリした。「初めてなのでわかりません」としか言えない。今でもたまにそういうことがあるけど、さすがに慣れてきている自分が少し嫌だ。 タイトルに戻ると、「自分と他人の区別がつかない人

    自分と他人の区別がつかない人の話 - 価値のない話
  • 楽天にありがちなこと - よそ行きの妄想

    さて、このエントリーを書いている今の日付は2012年の3月11日ということで、例の東日大震災からちょうど丸1年である。テレビをつけるとどの局も震災関連の特番に次ぐ特番で、改めて震災被害の甚大さを思わせる1日であった。私としても、1日でも早い被災地の復興を願わずにはいられない。 しかしながら、である。ブロゴスフィアのテレビ東京を目指す当ブログとしては、ここで世間の雰囲気に飲まれ、安易にセンチでポエムなエントリーを披露するわけにはいかない。いつも以上に下世話な愚考を開陳して、みなさまの苦笑を誘っていきたいと思っている次第。 ということで、今日は楽天について考えてみたい。 気になる楽天 あれは、こないだ電車に乗っていたときのことだった。ふと楽天の広告が目に止まったのだ。なんの広告だったかはまったく覚えていないが、楽天のロゴだったことだけは、はっきりと覚えている。 前から思っていたのだけど、楽天

    楽天にありがちなこと - よそ行きの妄想
  • 【研究ノート】「ドラゴンクエスト」シリーズにおける呪文名の形態論的記述に向けて - 誰がログ

    0. はじめに*1 稿は「ドラゴンクエスト」シリーズにおける呪文名に対する形態論的な観点からの記述の準備として、記述方法や論点、重要なデータの整理を行い、議論の足がかりを作ることを目的とする。従って全ての呪文名を取り上げることはせず、形態論的な派生関係や接辞類の考察に有用だと考えられる呪文名を主に取り扱う。また、各語彙/形態素の由来・語源は考察対象としない。 できるだけ多くの現象・論点に言及しようと務めた結果、全体としては雑駁な論考になってしまったが、今後の研究の叩き台となれば幸いである。 1. 対象と方法 1.1. 記述対象 「ドラゴンクエスト3」の呪文名を対象とする。なお、呪文(名)とその効果については以下のページを参考にした。 ドラゴンクエストの呪文一覧とは (ドラゴンクエストノジュモンイチランとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 ドラゴンクエストシリーズの呪文体系 - Wik

    【研究ノート】「ドラゴンクエスト」シリーズにおける呪文名の形態論的記述に向けて - 誰がログ
  • ソーシャルゲームとキャバクラの違い - よそ行きの妄想

    ここ最近、ソーシャルゲームと呼ばれる新ジャンルのゲームを提供するGREEやDeNAといった企業が、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでもって、快進撃を続けている。 ゲーム関係で言うと、私は、例えばリア充コミュニティにあっては「あいつちょっとゲームヲタっぽいよね」と微妙に囁かれる程度のいわゆる半可通なのだが、ことソーシャルゲームに関して言うと、割と早くにガラケープラットフォームから決別したこともあって、比較的縁遠い生活を送っていた。半可通ならではの「あんなのゲームとは呼べないでしょ」的な見下しもあったかもしれない。 ところが、GREEの時価総額6000億円はいまやゲーム業界では任天堂に次ぐ2番手であり、その任天堂の時価総額も大部分は単にその豊富な現預金によって裏付けられたものであるから、GREEは実は、事業の価値だけで考えるならば既に任天堂をも上回っているとさえ言える。GREEを何かに例えるなら、プロ

    ソーシャルゲームとキャバクラの違い - よそ行きの妄想
  • 日本のベンチャー企業に見られる3つの類型 - よそ行きの妄想

    ということで、先日のエントリー「木村剛はなぜ暴走したのか」からの流れで、「ヤンキー的なもの」を求めてナンシー関を読んでみたわけである。 ナンシー関は、横浜銀蠅を論じる文脈において、「銀蠅的なものを求める人は、どんな世の中になろうとも必ず一定数いる」と述べ、次のように続けている。 銀蠅なきあと、世の中は無意識のうちに銀蠅の代わりを探していたようにも思える。これは私の個人的見解だが「X」や「BUCK-TICK」などの売れセンヘビメタや、工藤静香の方向性、THE虎舞竜のヒット、一部の素人女にみられる露出狂の域にまで達したボディコン(というよりコスプレ)文化などの根底に、いずれも「銀蠅の魂」が流れているように感じられてしようがないのだ。 現在、不良の傾向は「ツッパリ・ヤンキー」ではなく「チーム」みたいなことになってるみたいだけど、世の中が(意識下で)連帯するのはやはり「ツッパリ」なのだと思う。日

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