Sachirou Inoue photo gallery: Nothing to show here at this time
.。oO(來年度から學生でなくなるのがおおきくあります。數年はなんとかなるとおもふてゐますが、わからねえ、それから先の見通しはねえよ、人生設計なんてまるでできねえよといふ感じです。)
.。oO(さうです。わたしの素性をすぐたしかめられるやうに、名をTwitterにも記述してあります。ただしわたしは實名義務派ではまったくございません。)
実在を「鏡」の如く写す(=表象)のが真理だとすれば、「鏡」を磨くことを哲学は自己規定としてきた。その哲学の終焉を宣告するアメリカにおける脱構築の旗手ローティの初期論文集である。比較的短い13編だが、主題も論旨も殆ど同じで、手を変え品を変え同じところを螺旋のように旋回する。哲学を真理の探究ではなく文学のような一種のレトリックと看做すローティにしてみれば、これは何ら不自然ではない。哲学が文学と同じとは不真面目との小言も聞こえそうだが、ローティは大真面目に不真面目を推奨している。 ローティが真面目を忌避するのは、哲学の終焉を語る言説が新たな哲学となるのを回避する戦略だ。これはニーチェからハイデガーを経た解釈学、ウィトゲンシュタインを嚆矢とする論理実証主義・分析哲学に至るまで、哲学史の上で幾度も反復された。ローティにとって真理はもはや語るに足る主題ではない。だがこれは論証すべきことではなく興味の問
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く