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ブックマーク / mubou.seesaa.net (3)

  • 正しい「敵」の作り方。: 不倒城

    なんつーか。ここしばらく仕事をしていて、うちの会社には「敵を作らない」とか「味方を作る」ことに長けている人はそれなりに多いけど、「敵の作り方」が下手な人はそれ以上に多いなあ、と思った。 以下、主にお仕事のお話。 下っ端ではなくなってしまった影響で、会議に出る機会が最近は妙に多い。うちの部署の人々は皆寡黙な技術者肌で、多少なりとくっちゃべる体質なのは私だけだ。必然、社内・社外問わず、お外の人々と折衝する機会は増えた。角付き合わせる機会も、当然増えた。 で。会議なんかでは毎回思うんだけど、うちの会社には「上手に対立する」ということが苦手な人がなんだか多いなあ、と思ったのだ。 味方を作ることは勿論大事だけれど、毎度毎度利益を共有出来る人達だけで会議をする訳じゃあない。立場的にどうしても対立せざるを得ない場合、というのは何度だって起きる筈だ。 対立する相手を「敵」と呼ぶとしたら、「敵」が出来ること

  • 「嫌うスタンス」にまつわる色々。: 不倒城

    ふと気付いてみると、今の私には「嫌いな人」がいない。 ここ数日妙に色々と立て込んでいて、Webでのアンテナを下げていた折。職場で例によって他部署の同僚の愚痴を聞いている時、ふと違和感を感じた。 何でこの人は、そんな簡単に人を嫌いになれるんだろうなあ、と。 同じく、ちょっと仕事が立て込んでいて、現実逃避にブログをぶらぶらとしている折。多分同じ様な違和感を感じた。 何でこの人は、そんな簡単に人格否定の文言を形に出来るんだろうなあ、と。 ちょっと雑然とした話になりそうなので、まず先に思ったことをまとめておく。 ・「人を嫌う為のコスト」というものがある様な気がする。そして、それは人それぞれ、結構差があるものである様な気がする。 ・私に関する限り。ろくに知りもしない人を嫌いにはなれない。そして、ある程度その人のことを知ると、結構色々と面白い部分があるので嫌いになれない。 ・それは私が「色んな人を深く

    LLLL
    LLLL 2008/02/15
    共感。人を嫌いになるにもエネルギーがいるし、嫌いになれるほど意見の対立も無い。自分自身を確立していないからかも。生理的に嫌いになるなんて事はないなぁ。あれの意味が分からない。
  • 言語という契約。: 不倒城

    言語を共有するということそうじゃなくて、定義を一度も確認しあったことがないのに、 分かる、って、なんでそんなことができちゃうの?どういう仕組みでそうなってるの? なんで伝言ゲーム状態にならないの? 面白い見方だなあ、と思った。思ったけれど、そういえば大学の頃はこういう理屈にばっかり触れていた様な気もする。単位をとったりとらなかったりしていた気もする。 生成文法とかについてはどうせ触れてくれている人がいるので、ちょっと粗っぽく書く。 言語というのは何かというと、契約である。というか、「たくさんの約束事の集合」である。 主語とか述語とか、助詞だ助動詞だSVCだ何だというものは、全て「こういう風に使いましょう」というルールの塊に過ぎない。同じく、あらゆる単語や熟語についても、「この言葉はこういう意味で使いますよ」という数限りないルールが存在する。 ことばを学ぶということは、ルールを学ぶことでもあ

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