2010年1月の会社更生法適用申請から2年半あまり。日本航空は東京証券取引所に再上場を果たした。経営再建に当初から携わり、パイロット出身として初めて社長に就くことになった植木義晴氏に、破綻から再建に至る道のりを改めて振り返ってもらう。今回はその前編。 2010年に日本航空(JAL)が経営破綻した時、植木社長はまだ操縦桿を握っていたと聞きます。 植木:もちろんです。それが私の本業ですから。当時は、(グループ会社の)ジェイエアに在籍していて、肩書きとしては副社長でした。もちろん機長としても乗務していましたし、それだけに飽き足らず、教官職などの色々な資格を取って、楽しませていただいていた。活躍をしていたんです(笑)。 僕は35年間飛んできましたが、機長になった時に、「さて、これから先、自分は何をするのかな」とふと思った瞬間があったんです。10代の頃から、目標はパイロットになること、機長になること
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