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2008年1月13日のブックマーク (5件)

  • ロスジェネは誰と闘うのか - 雑種路線でいこう

    僕は就職氷河期時代ど真ん中の正規社員だ。学生の頃から請われて正社員になり、ふらふら他の会社も手伝いつつ5年前に今の会社へ転職した。中学で留年して高校も中退したし、理屈が達者で気配りは乏しい方だから、NEETのこととか他人事とは思えない。周囲で就職に苦労した奴を結構みているし、最近の新卒採用の過熱ぶりに対しては強い違和感を覚える。 けれども僕は何のために誰と闘うのか。例えば経団連企業の経営者たちか。彼らだって世界中の競合相手と闘っているのである。例えば厚生労働省の役人か。彼らだって米国や産業界からの圧力に抗して労働者の権利を守るために闘っているのである。 そもそも同世代だからといって、後ろから刺される覚悟までして共闘したくないぞ。だいたい誰と闘って、何をどうしようというのか。共闘そのものが自己目的化している無責任って、彼が敵と公言する団塊世代の生き写しじゃないか。 同世代でも、正規雇用は敵。

    ロスジェネは誰と闘うのか - 雑種路線でいこう
    LoLo
    LoLo 2008/01/13
  • 社会をhackする作法 - 雑種路線でいこう

    前職の時は方々のベンチャーに顔を出して、技術を金にするhackも手掛けていたんですが、いくつか社会の矛盾とぶち当たる経験をしてから、日じゃ個々の仕事をクロージングまではできても、あまり大きくはならないよな。社会全体が技術技術者を大切するようにできてなくて、それは中小ほどそうだから、個別のベンチャービジネスに足を突っ込んで数をこなす前に、もっと大きな社会の矛盾と向き合って、いずれ自分が新しい仕事をやりやすいような社会に変えた方が楽なんじゃないか、そういう方向で社会をhackした方がいいんじゃないか、と考えるようになりました。そのためには日村と関わりつつも、政府の補助金とか業界での持ちつ持たれつに頼る負い目とかはなく、義理とか柵から距離を置けて、勉強や調査に充分な投資と時間を確保できる立ち位置が必要だったんです。 「技術を作るhacker」というものがあるのなら、「技術を金にするhack

    社会をhackする作法 - 雑種路線でいこう
  • 首都圏と地方の格差 - 狂童日報

    『アエラ』を読んでいたら姜尚中が先の参院選の自民党大敗を、地方が切り捨てられることに対する「草の根保守の反乱」と要約していた。 これは自民党中枢の人たちもそう思っているようなのだが、おそらく正しくないと思う。そうであれば地方の衰退などまるで無関心・無頓着だった小泉政権のときに、とくに郵政解散選挙の時にとっくに「反乱」してなければおかしいだろう。 だいたい政治学者である姜尚中がいちばんわかっているはずだが、「草の根保守」というのは自民党以外に投票することは基的にない。「草の根保守」は選挙の公約やテレビやインターネットで政治を判断しているのではなく、「知り合いだから」「お世話になっているから」という理由で投票しているのである。地域の町内会長のような人たちを自民党系の市議会議員がお世話して、その市議会議員を国会議員がお世話する・・・というパターンで自民党は「草の根保守」を緩やかに動員してきた。

    首都圏と地方の格差 - 狂童日報
  • 努力教とハゲタカ教と最善説 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080109/1199875970 http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080111/1200020891 これらは当に酷いです。当に酷いと思っていたら、id:y_arimが何か書いていたので、私も便乗して何か書いておこうと思いました。 これらの記事は、いわゆる成功哲学とか自己啓発とかその手の分野に該当すると思いますが、こうした議論の前提にあるのは、何らかの楽天主義です。 上の記事は、自分が変われば世界はあなたにとって優しくなることを説いています。ネガティブはだめなのです。なるようになるのです。世界があなたを否定するのはあなたがさもしい心だからであって、あなたが心を入れ替えようと頑張ればきっと世界はあなたに報いるのです。灯里ちゃんが素敵だからこの世界は素敵なのです。そんなの僕らのA

    努力教とハゲタカ教と最善説 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 情報と情報化 - 内田樹の研究室

    「メディアと知」というタイトルの授業をしている。 メディア・コミュニケーション副専攻の学生15名対象の半期科目で、私の後の半年は江弘毅さん、そのあとの半年は関川夏央さんと続く。 一年半にわたってこんなに濃いメンバーにさらされたら、学生たちはどうなってしまうのであろうか。想像するのがコワイ(そればかりか、学生たちのうちの何人かは四月から内田ゼミである。彼女たちの繊細な知性はこのシュトルム・ウント・ドラングに耐えられるであろうか)。 先回のお題は「メディアと身体」。 同一タイトルで三人の学生に10分ずつのプレゼンテーションをしてもらう。 これが意外に面白かった。 それは同一テーマについて短いプレゼンをするだけであるにもかかわらず、「抵抗」が働く箇所が三人に共通していたからである。 「抵抗」というのはそこに「直視したくない/直視してはならない何かがある」ということである。 人はみな何かから目を背