2022年2月15日のブックマーク (4件)

  • ある子無し既婚女性が職場で嫌われている

    私は地方都市でフルタイム労働をしている子無し既婚女性なんだけど、 職場には「既婚子持ち女性グループ(家族の愚痴や人のうわさ話など人間の話題多め)」と、 「未婚子無し女性グループ(ドラマの話や家電の話など商品の話題多め)」があり、 私の所属はどっちつかず(やや未婚子無しグループ寄り)の状態になっている。 両方に顔を出すどっちつかずは私のほかにもう一人いて、そのもう一人も子無し既婚女性。 仮にA子さんとするが、彼女が両方のグループで嫌われるムーブをして、両方でハブられつつある。 まず既婚子持ちグループにおいてA子さんは、旅行に行った話や、高い家電を買った話をする。 子供がいる世帯、とくに子供が小さいうちは、大人だけのように気軽に旅行には行けない。 またコロナのご時世でもある。でもA子さんはわざわざ子持ちのグループで旅行の土産話をして、 旅先で撮った写真をスマホで見せて、お土産はバラマキ用の安い

    ある子無し既婚女性が職場で嫌われている
    LonePoppy
    LonePoppy 2022/02/15
    ここで女は女はと言ってる人たち、空気読めない同僚からどうでもいい家族や出身校の自慢話など聞かされたことはないのかな。/ 職場だから仕事するのは当然だけど、その分お昼どきの雑談のインパクトは大きいのだよ。
  • 母の死に目に会えないだろう - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。だから僕はそれ以来母に会っていない。 僕が母と呼ぶのは養母のことである。実母は僕を産んですぐに亡くなった。もちろん記憶にはない。 血のつながりというものがどれほど強いのか僕にはわからない。僕は父とは血のつながりがあって母とはない、そいういう家庭で育ったわけだけれど、父母のどちらかだけを物の親だと思ったことはない。 父は僕と子ども同士のように遊ぶばかりの(今にして思えば)子育ての実務の役に立つことのない人だったし、父の威厳みたいなものもぜんぜんなかった。母は母でずいぶんと(当時にしては)進歩的な考え方の、なかなかのインテリで、高校の教員をしていて、当時のティピカルな母親像みたいなことをやってくれる人ではなかった。おかずはだいたいスーパーかデパ地下のやつで、僕はそれを親たちと一緒にべて大きくなったのである。 そんなだから

    母の死に目に会えないだろう - 傘をひらいて、空を
    LonePoppy
    LonePoppy 2022/02/15
    法的には婚姻関係にあっても当事者同士は何のつながりも感じられないようなカップルいるし、一方でこういう例もあるだろうし、つらいなと思う。
  • 独身中年のおれは社会の「不審者」であることを甘受する

    独身中年の不審者度 『見知らぬ人はすべて「不審者」、行き過ぎた通報も…平日昼間に出歩く中年男性の僕が困惑した理由』という赤木智弘氏の記事を読んだ。 平日の昼間に中年男性が一人でうろついていると、「不審者」扱いされる現実があるんじゃないか。 声優の落合福嗣氏なんて、平日に娘と公園で遊んでいただけで通報されたぞ、という話だ。 防犯としての「挨拶」を教育している例もあるし、なんでもかんでも「事案」になってしまう世の中ってどうなん? 偏見があるんじゃないの?……というような内容かと思う。 これに関して、おれも当事者の一人ということになる。 というか、通報する側である子供連れの親、あるいは子供そのものといったものも当事者であって、社会のほとんどの人間が当事者といえるかもしれない。 とはいえ、やはり中年独身男性で単独行動も多いおれは、「不審者」の対象たりうる一番の存在であって、我が事と思わざるを得ない

    独身中年のおれは社会の「不審者」であることを甘受する
    LonePoppy
    LonePoppy 2022/02/15
    「ひょっとしたら悪い人ではないかもしれないけれど」この意識、通報する方だけでなく、それを受けて対応する警察官全員が持っていて欲しい。
  • おれという不審者と、社会 - 関内関外日記

    blog.tinect.jp 寄稿いたしました。だいたいタイトルの通りのことを書いております。おれがそちらの文中に書いた不安心というものは、脚色なしの当のことであります。ぜひとも一読お願いしたく……。 読んだ? 読んだかなあ? 読んだよなあ? ……と、不審者丸出しで書いてみたところで、やっぱり思うんだが、不審者として生きるのはなかなかに面倒くさいことだ。つらい、とまではいかないまでも、面倒くせえ。いちいちおれのおれがまっとうな人間である証を立てながら生活しなきゃいけねえ。そして、強迫性障害的な要素のあるおれにとっては、その「いちいち」が、当に「いちいち」意識することなんだ。 たとえば今夜よぉ、今夜のことだけどよ、会社からの帰り道、ちょっと体調が悪くて、若干のろのろ自転車漕いでたんだ。電動アシスト付き、子ども乗せのママチャリにびゅんびゅん抜かされるくらいはさあ。そんで、おれがなにを考え

    おれという不審者と、社会 - 関内関外日記
    LonePoppy
    LonePoppy 2022/02/15
    90年代に関川夏央が書いてた中年独身男性にまつわる話は面白がって読めたけど、この記事から感じるような一種の切迫感はなかった。中年以降の独身者には増えてるらしいが、必ずしもその分生き易くはなってない。