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東浩紀とゲームに関するLoneStarSaloonのブックマーク (2)

  • ■ - motidukisigeru’s diary

    いろいろあって、1年半ぶり以上の新記事となる。 いや久々に見たら、あまりに変わっていなくて笑ってしまったので。 「美少女ゲームゲームなのか」 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0608/30/news096.html 「インタラクション性よりも、中に描かれているものに対してゲーム性を感じている」 http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0608/30/news083_2.html 俺も中学くらいの時、とにかくやたら、ゲーム性という言葉を、振り回してイタい議論をしていた。 今になって思えば、そういう文脈の「ゲーム性」というのは、たいてい、狭い意味での戦術性、くらいの意味だったんだが。 戦術性があって面白いゲームもあれば、戦術性と別のところで面白いゲームもある。言葉にすれば、ただそれだけのことだ。 が、「

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    ゲームの外側」の遊びへの注目 http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/09/cedec.html こちらからリンクをいただいていたので、少し。 さて、東浩紀氏は、作品とファンの関係について、長い間語ってきた。 美少女ゲームにおいては作品内のゲーム性は失われたと発言した。また作品自体の価値が失われ、データベース化されてゆくのがポストモダンの現代である、と、主張した。 それが正しいとすれば、作品発信者は、積極的にファンコミュニティを育てるべきであるが、一方で、Type Moonがファンを大切にしてることに私怨めいたことを書いたりする。いったい、どっちなんだ、おまえは、と、言いたくなるが、まぁ。 東氏の言ってることを汲むと以下のようになるだろう。 ポストモダンの現代、普通のストーリーは不可能となった。 多くの作品は、データベース化された中で、ユーザーとコミュニテ

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