タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/f-ryota (2)

  • 構造主義とサイエンス - 仮想算術の世界

    こんにちは。1年ぶりくらいに東方熱が再発中の今日この頃です。最近は、最低一日一回はみょんのMADを見ないと落ち着かない体質になってしまったし、大江健三郎『同時代ゲーム』なんてもう東方の予告編にしか見えなくなっているし(ちなみに、最近筒井康隆氏がこの小説を「ゲーム的リアリズムの先駆」みたいな文脈でほめていて、さすがと思いましたが)、八坂神社の境内でぼんやり月を眺めていると、なぜだかえーりんやうどんげを幻視してしまうしで、ちょっとみょんな精神状態。 前も書いたことですが、東方というのは、外見上はゼロ年代的な作品ではまったくない。それこそ、大塚英志さんの『物語消費論』に東方論が紛れ込んでいても違和感がない程度に、80年代的だと思います(それはたとえば、『求聞史紀』や『文花帖』ののつくりを見ていても感じます。何とも懐かしい)。実際、ZUN氏の方法論は、まず世界観をちゃんとつくり、それからその世

  • パターンで会話する - 仮想算術の世界

    更新があいてしまいました。ここのところは原稿書いたり、東方を久々にいくつかやり直したり、温泉行ったりしていたのですが、どうも生産性が落ちているのは否めないので、何とかてこ入れしたいものです。というわけで、今日は東方絡みで二、三思うことを。 東方はシューティング+偽史ということで、80年代的なテイストを感じてちょっと敬遠していたのですが(僕の世代のメジャーなゲーム観は、たぶんアーケードといえば格ゲー、コンシューマーといえばRPGだと思うので、いずれにせよシューティングはゲームの代表にはならない――まぁ個人差はあるでしょうが)、プレイしながらつらつら考えるに、東方はフラットなデータベース(設定の束)に趣向を走らせてつくられる80年代的偽史というより、むしろデータベース(「幻想郷」と呼ばれるもの)の内部に随時結界を引いて、そこを探査=攻略していくというタイプの偽史なので、ちょっと考え方を変えな

  • 1