明治44年の元旦。日本三大名城のひとつである熊本城の程近く、熊本市の中心部(現在のシャワー通り)に九州で初めて活動写真の常設館“電気館”が設立されてから、間もなく100年が経とうとしている。弁士として活躍していた創設者の窪寺喜之助氏は全国の劇場を巡業中、熊本を訪れた際まだ劇場が1館も無かったこの地に設立したのが始まりだ。当時、無声映画を上映する劇場と言えば、芝居小屋や寄席の劇場を使うというのが主流であり、日本全国でも常設館というのはかなり珍しかった。浅草にあった日本初の常設館“電気館”からわずか8年後のことである。その後、大正3年に2代目“電気館”が新市街へ移転、900席を有する近代建築を誇る熊本市のシンボルとなった。劇場の入口には“松竹キネマ映画封切劇場”という看板が大きく掲げられ、松竹キネマ、帝国キネマ、ユニバーサル、パラマウント、フォックスなど、日本における映画の創世期から全盛期に掛