初創期テコンドーは後発走者だっただけに当然海外で勢力が空手やカンフー系中国武術より弱く、80年代までオリンピック次期種目で有力なのは空手だった。 しかし、各分派が分かれた空手は、国際オリンピック委員会(IOC)と交渉する空手全体を代表する団体がなかった。 1970年に世界空手連盟が発足したが、形式的な水準であり、事実上1992年になってこそギトルを備えた。 それに対してテコンドーは1978年9大管統合をするなど、単一化の道を歩んだ。 また世界団体もWTとITFの2つの巨大団体に二分されたが、各団体は内部的にも統一されていた。 特にWTが国家的支援を受ける国技院によって管理されているため、もう少し公信力があるように見えただけでなく、スポーツ化が多く進んでいた要素なども裏付けられた。 当時、キム・ウンヨンIOC委員の政治的交渉力も大きな役割を果たした。[2] 実際、オリンピックに飢えている人は

