2017年4月26日のブックマーク (1件)

  • 日本語が堪能な外国人は普段 何語で考えごとをするのか - 襟を立てた少年

    語が堪能な外国人は普段 何語で考え事をするのか 僕は仕事中にこんなことを思いついてしまった。 「人は言語を通じて世界を見ている。だとすれば、言語を複数持つ人は思考ベースを複数持つということになり得るのか?それとも彼らに取って言語はチャンネルのようなもので、その時々に応じて切り替えているだけなのか?」という仮説だった。 例えば僕の親しい同僚でイタリア人がいるのだけれど、日に5年以上住んでいて日語は何不自由なく使えるし、おまけにイタリア語と英語スペイン語を自由に操っている。そんな彼は普段何語で思考しているのか。 イタリア人だからイタリア語で思考する。のか? そんな短絡的に考えていいのだろうか。 彼は日に住んでいる。 だから基的に思考も言語も日語に引っ張られるのが自然だと思う。 具体的には「鈴木さんとみずほ銀行に行かなきゃ」ということを考えるとき、イタリア人の彼はわざわざ「And

    日本語が堪能な外国人は普段 何語で考えごとをするのか - 襟を立てた少年
    MacRocco
    MacRocco 2017/04/26
    「Andrò a Suzuki-san e la Mizuho Banca」この文崩壊してるで。「鈴木さんに行く、そしてみずほ銀行」的な文になっとる