「西欧の人種差別意識を暴き出した名著」となっていて、確かにそうなのだが、西欧批判の書としてよりも、日本人、イギリス人、インド人、ビルマ人など、それぞれの文化を持った人間の考え方の違いが、作者の経験したことのみをフェアに書くことによって、よくわかる面白さというか、興味深い文化論・文明論になっていて、多くの発見がある。ある種の滑稽さの中に、戦争のリアルも実感できる。確かに名著。 #太平洋戦争 #捕虜 #会田雄次 #中公新書
記録・実話として大変貴重な、価値のある本です。 本書は色々な人の本で引用されていましたので、以前から読んでおかなくてはいけない本だと思っていました。 聞きしに勝る、想像を絶するというか、これが日本人に対するイギリス系の人間達の本性なのだと思わされました。 捕虜体験により、それまで日本で接していたイギリス人たちとはおよそ異なる、「イギリス人の正体」「イギリス人オーストラリア人の陰湿で残虐残忍な正体」をはっきりと見た体験の記録を残してくれています。 表面は甚だ合理的で、非難に対してはうまく言い抜けできるようになっていた。しかもあくまでも冷静で「逆上」することなく冷酷に落ち着き払って行なっていた。 人間が人間に対する最も残忍な行為。 イギリス人の日本人ビルマ人インド人たちに「人間以下」の動物として見下して対する傲慢な態度の実話の数々。 イギリス人オーストラリア人ニュージーランド人、白人のイギリス
【読もうと思った理由】 サン=テグジュペリと言えば、言わずと知れた「星の王子さま」。実はお恥ずかしながら本作まで、サン=テグジュペリ作品は「星の王子さま」しか読んでいなかった。ではどこで興味を持ったかというと、YouTubeチャンネルの彗星読書クラブだ。 運営者である森大那(モリダイナ)氏の番組の一つのコンテンツで「絶対高品質 おすすめ小説10選」で知った。この方が紹介する文学作品は、いわゆる純文学作品で、僕が最も苦手な分野だ。 尚且つ、この方が紹介する文学作品は、純文学の中でもかなりニッチで、小難しそうな作品が多い。ただ「絶対高品質 おすすめ小説10選」での紹介のレビューが、あまりに素晴らしく、ついつい10作品ともブグログの「読みたい」で登録したほどだ。 その中で最も読みやすそうな「人間の土地」を最初に読む作品で選ぶ。なお、新潮文庫版は、“あとがき“を宮崎駿氏が書いており、森大那(モリダ
原題は"The Magician's Nephew"、初出は1955年。土田京子訳。 以前、角川文庫で、「ライオンと魔女と洋服だんす」を読んだ。角川文庫版は、ナルニア国物語の刊行順をそのままにして出版している。その順序だと、この「魔術師のおい」は6作目に当たる。 対して、こちらの光文社版では、ナルニア国の時系列順に刊行している。時系列では、この「魔術師のおい」が一番最初にくる。時系列の最初の最初。ナルニア国創世の物語だ。 親友のディゴリーとポリーは、ある日、探検の途中で、入ってはいけないと言われていたディゴリーの叔父の部屋に間違えて入ってしまう。アンドルー叔父は、腹黒い魔術師だった。 二人はアンドルーに騙され、魔法の指輪を使って、異世界の滅びゆく王国に迷い込む。そして廃都を彷徨ううちに、悪の女王ジェイディスを目覚めさせてしまい、そして指輪の力でロンドンに一緒に連れて帰ってしまう。 突然現れ
『ナルニア国物語』の第2巻の物語の構成は、ある意味とても素朴かも知れません。 解説でも触れられていますが、物語の基本型である日常から非日常への「行って、帰ってくる物語」であり、悪を乗り越えて、魔女に支配された世界の秩序を取り戻し、子どもたちは人間的に成長する。 おそらくこれ以上無いくらい、物語らしい物語だと思うのです。 そんな素朴な物語に味をつけるのが、登場するキャラクターたちと、作者であるC・S・ルイスの語り口であったりする気がします。 ナルニアの国に最初に迷い込んでしまうルーシーの素直な感じであったり、長男のピーターが勇気を示したりと、子どもたちの活躍もさることながら、ナルニア国ならではのファンタジーの世界の住人たちが、個人的になおのこと好きです。 最初にルーシーと出会い、彼女を助けるフォーンのタムナス。魔女に見つからないよう、子どもたちにしゃべらないように促しつつも、自分の作ったダム
世界的なファンタジーの名作。今でこそファンタジー好きを公言しているが,小中学生の頃は,ファンタジーは女子が好んで読むものという先入観があり基本的に読んでいなかったので,この作品は初めてである。しかし,光文社文庫のシリーズでは第1巻となっているが,出版順からする公式なものとしては6巻なのか。道理で以前見た記憶のある映画のストーリーとは違うような気がしていた紛らわしいことをしないで欲しい。 建物同士がつながったテラスハウスの隣同士に住む男の子ディゴリーと女の子ポリーはある日,屋根裏の更に裏のトンネルを通ると繋がっている別の家に行けることを知り,ポリーの家からディゴリーの家の上を抜けて空き家の家まで行ってみることにする。ここだと思って到着したところは空き家まで到達していなかったらしく,ディゴリーの伯父さんがいた。伯父さんは何か良からぬことを企んでいるらしく2人に協力しろという。断ろうとするとテー
1951年、東京都生まれ。映画監督。1977年、竜の子プロダクションに入社。スタジオぴえろを経てフリーに。主な監督作品に『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84)、『機動警察パトレイバー the Movie』(89)、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(95、米「ビルボード」誌セルビデオ部門売上第1位)、『イノセンス』(04、カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品)、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』(08、ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品)。16年、ウィンザー・マッケイ賞を受賞。最新作は、シリーズ構成・脚本を務めたTVアニメシリーズ『火狩りの王』(23)。著書多数。 「2023年 『鈴木敏夫×押井守 対談集 されどわれらが日々』 で使われていた紹介文から引用しています。」
押井守のメルマガでのエッセイをまとめた本。時事放談であちこちに噛み付いているのだけど、押井が依る理を述べられているので、同意しようがしまいが考えるヒントになる。 #押井守 #幻冬舎文庫
一度読んで、なんら感想文がかいてなかったので、 再度 読み直して見た。茂木健一郎節が、炸裂していた。 言葉の運び方は、相変わらずうまいものだ。展開力とたたみ方がうまい。 最初に読んだ時は、まだまだクオリアのイメージがつかみきれていなかったが、クオリア信奉者となって、せっせと、茂木健一郎の本を読み、ポッドキャストをきくことで、茂木節が、だいぶわかってきたのだと思う。 科学が、数字と方程式で表すことができるようになり、ある意味では、数字と方程式に表せる対象のみを追っかけていた。世界と宇宙を数字と方程式で表すことができるような錯覚に陥っていた。物質である脳に、意識が宿り、現実の世界が反映するばかりか、仮想の世界が形作られた。 小さな女の子のサンタクロースがいるのかという問いかけが、仮想の世界を作り出す。 この時に、サンタクロースではなく、神様がいるのかというテーマにしたら、文脈は大きく変わるだろ
息子が殺人を犯した容疑で逮捕される。 我が子が加害者となった時、親として成すべきことは何かを問う、加害者の親の視点で描かれた物語。 著者作品は本作で3作目。 前読の「天使のナイフ」も少年法がテーマだったが、同じテーマでも被疑者と被害者の立場が異なるだけで、まったく別の重みを感じさせられた。 もしも我が子が被害者に、加害者になったなら…を想像しつつ、心が大きく揺さぶられた。 我々には必ず親が存在する。 たとえば、そこに複雑な事情があれど、親がいて、断ち切れない血縁があって今の自分が存在する。 よって誰しもが明日は我が身となる問題であると思う。 作中、主人公である父が、自身が幼少期についた嘘を親に見透かされていたことを知り、老父へ何故咎めなかったのかと問う場面がある。 「物事の良し悪しとは別に、子供がどうしてそんなことをしたのかを考えるのが親だ」と即答する老父。 電撃が走った。 作中、殺人を犯
明治維新、太平洋戦争、そして安倍政権に至る現在まで、長州の影がずっと射しているんだよなあ。 この怨念はどうにかならぬものか。 #明治維新 #長州 #吉田松陰 #テロリスト #原田伊織
作品紹介・あらすじ 維新150年、偽りの歴史を斬る。共感と論争の問題作、ついに文庫化! 幕末動乱期ほど、いい加減な美談が歴史としてまかり通る時代はない。京都御所を砲撃し朝敵となった長州を筆頭に、暗殺者集団として日本を闇に陥れた薩長土肥。明治維新とは、日本を近代に導いた無条件の正義なのか? 明治維新そのものに疑義を申し立て、この国の「近代」の歩みを徹底的に検証する刮目の書。 本書が訴える明治維新の過ちの数々― 悪意に満ちた勝者による官軍教育。 坂本龍馬「薩長同盟」仲介の嘘。 吉田松陰が導いた大東亜戦争への道。 「維新」至上主義、司馬史観の功罪。 テロを正当化した「水戸学」の狂気。 二本松・会津での虐殺、非人道的行為。
2017年12月に発行されたこの本。 私が読んだ2022年には、2017年よりも、だいぶ世の中、経済の動きが変わってしまった気がする。 それでも、今のところ仮想通貨バブルは継続している。著者が話す仮想通貨の終焉はそのうちに訪れるのだろうか? この本は、いわゆる「貯金だけじゃだめ、積立NISAで投信買いなさい」みたいな指南本ではない。 お金の歴史と、今後についての筆者の見解が書かれた本。興味深く読んだ。 著者は、将来的にお金はなくなり、信用がお金に取って代わる…と言う。 そうなると、税金はどうなるんだろう?お金以外で取り立てる事が可能なんだろうか?という疑問が湧いた。 もしかしたら、国家(税金を徴収する者)自体が破綻すると言う意味が込められているのだろうか。 「信用で飯を食う」というと、昔ながらのお中元お歳暮などの贈り物文化を思い出した。世話になってる、頼りにしてる、という意味合いで贈られる
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