「胸にワンポイントのヌル目なキャラクター」や「ひたすらに無意味な英文」が入った服を着ている人は大抵ダサイ。そしてあの人たちは無地の服を絶対に着ない。何故なら「服と向き合う」のが怖いから。 ポピュラリティーのある雑誌の装丁は大抵ヒドい、文字や写真が極彩色でひたすらゴチャゴチャしている。追い切れない程に大量の情報をそうやって洪水させて「無駄なお得感を演出」しつつ、「シリアスさ」からも同時に観る者を逃している。「意味の読み取り」を強要しない。 例えばスタジオボイスの装丁等には緊張感がある。観る者に挑んでくる、攻撃的なデザイン。「そのデザインの意図を読み取れるかどうか?」その事を必ず確認させられる。ソレが苦痛なのだ。「自分のセンスの無さ」を突きつけられてしまうから。あの手の雑誌を「自分の視界に入れる事」さえ、もう辛いのだ。 そしてファッションについても、やはり同じ事が言える。センスが無いから本当は