卑弥呼(読みは、ひみこ/ひめこ等諸説有り、建寧3年/170年頃 - 正始9年/248年)は、『魏志倭人伝』等の古代中国の史書に記されている「倭国の女王」と称された人物[1][2]。日本の古代の歴史書である「古事記」「日本書紀」に卑弥呼の記述はなく、考古学上も実在した物証が提示されていないが[3][4]、西晋の官僚である陳寿が書いた魏志倭人伝には卑弥呼の記述が見られる。著者の陳寿は日本に来た記録はないため伝聞により当時の日本に関して記述したと考えられ、それによれば、倭人の国は多くの男王が統治していた小国があり、2世紀後半に小国同士が抗争したために倭人の国は大いに乱れたため(倭国大乱)、卑弥呼を擁立した連合国家的組織をつくり安定したとある。卑弥呼は鬼道に仕え、よく大衆を惑わし、その姿を見せず、また歳長大で夫がおらず、政治は男弟の補佐によって行なわれたとも記されている[5][注釈 1]。諱も不明