ホメオパシーだの代替医療だのといった、いわゆる疑似科学についてはあらかた意見が出されていて、もう議論の余地はないと思われるのだが、そうした問題について考えるとき、どうしてか疑似科学それ自体、もしくは推し進める当事者のことばかりクローズアップして、疑似科学を支持する利用者のことがあまり注目されないのはちょっと妙な話であり、この偏りはマズいのではないかと思う。 科学というのもつまるところ美術や文学と同じであり、考案者と追実験者のコラボ、それを追いかけて信憑性や科学性を視認する研究者、そうして知識として蓄積された学問を後追いで学ぶ学生といった階層性が歴然として存在する。確からしさや権威は独創的な「表現者」が単独であれこれと試行錯誤するだけでは付随してこず、「鑑賞者」が群がってあれこれと議論することで科学体系は形成されるのだ。 とすると疑似科学もそれと同じことで、それが科学の衣をまとっていられるの