私は通俗小説とか娯楽ものをバカにしているわけではなくて、常に、巧みなストオリイテリングで楽しませてもらいたいと思って読み始めて、失望するということが多いのである。 藤村の『破戒』というのはあれはストーリーテリングが巧みなのである。ところが藤村自身は、それ以後、二度とああいう手腕を見せなかった。中村光夫は、そのことを言えばいいのに、社会性がどうとか言ったために、以後の批評を歪めてしまったのである。 今日、ストーリーテリングの巧みさを言われることが多いのは、漫画や映画やドラマである。『めぞん一刻』後半の巧みさは誰も言うところで、例のお墓のエピソードなど、当時みな讃嘆したところである。ただ結局それが「漫画」という、いくらか荒唐無稽でも許されるジャンルだからであることは、重要で、だからあの漫画は映画化しても成功はしない。 ここに厄介なのは、ストーリーの巧みさは、パターンがいく通りかに決まっているの