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ブックマーク / le-matin.hatenadiary.org (2)

  • 4.郷土の不足とナショナリズム・ワンダーランド - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    パレスチナが足りない 日のメディアではパレスチナ問題と旧ユーゴ紛争は、ともに『民族問題』と『宗教問題』として語られることが多い。いや、この表現は正確ではない。『民族』『宗教』という言葉が口にされた瞬間から、日人の多くは思考停止に陥ってしまい、『二千年にわたる宿命的対立』やら『一神教どうしの憎悪の関係』といった説明文句が登場すると、それで議論が打ち止めにされてしまう。 (四方田犬彦、『見ることの塩』作品社、p417) パレスチナ問題というかイスラエル問題というか、名前は何でもいいが*1、この問題の質というのはパレスチナが足りないことにあるように思う。 一方にイスラエルがいて「住民が全員ユダヤ人であるようなイスラエル国をパレスチナの地(あるいは、ヘブライ語で言えば「エレツ・イスラエル(イスラエル人の土地)」)に築き上げること」を目指している。そして他方にパレスチナ人がいて、「イスラエルが

    4.郷土の不足とナショナリズム・ワンダーランド - どんな懐かしさをおぼえるとしても
    Midas
    Midas 2009/02/14
    反対。彼らに必要なのは歴史から自由になることであって周りがそれぞれの幻想をおしつけるべきではない。これは民族問題でも植民地問題でもない。むしろ現代のどこにもある多文化相対主義の真実の姿。
  • 「絶対的真実はない」について - どんな懐かしさをおぼえるとしても

    僕が愛読しているブログには理系の人のものが多いのだけど、この人もそうなのかな?と思う。 http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20081207/p1 ここでは、「絶対的真実」というのは、無根拠、無前提に正しい、という意味で使われているみたいだ。だから「絶対正しい」とか言わないで、ちゃんと説明して説得してよ、というようなニュアンスがあるような気がするのだけど、それはちょっと違うかな、と。 文系的な発想では、自分たちをプレーヤーとして、受け手でもあるかもしれないが、主には送り手であるものとして意識していると思う。そのことをベースに、少し。 物事の認識についてはその主体の数と同じくらいの多様な可能性があり、そのどれが優越していると確定的に言うことはできない。いわんや、その意味づけにおいておや。 というのが、思想や哲学がここ数百年来考え続けていることであり、「絶対的真実はない

    「絶対的真実はない」について - どんな懐かしさをおぼえるとしても
    Midas
    Midas 2008/12/14
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