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ブックマーク / lessor.hatenablog.com (4)

  • 「ちょうどいい責任」だけを背負えない社会で - 泣きやむまで 泣くといい

    自閉症連続体の時代 作者: 立岩真也出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2014/08/26メディア: 単行この商品を含むブログ (6件) を見る 一読した後に「自分にとってはそれほどインパクトのある内容ではない」と思ったのだが、いくつかのニュースと世間の反応を見て、やはり意義があるなのだと思いなおした。けっこう時間が経ってしまったのでタイムリーとは言えないけれど、書き留めておきたい。 もう数週間前のことになるだろうか。視覚障害をもつ高校生が白杖につまづいた中年男性に蹴られる事件が起きた。世間の反応は「なんてひどいことを」であった。少しして「蹴られる方にも非がある」という声があがりはじめた。すぐにそのような声に対する批判もまた巻き起こった。 そこに、どうやら犯人がわかった、という報道がなされる。知的障害の男性だったと言う。そして、その後の報道はあまりなされなくなったような印象もある

    「ちょうどいい責任」だけを背負えない社会で - 泣きやむまで 泣くといい
    Midas
    Midas 2014/09/30
    我々が白痴の犯罪を憎むのは「バカには罪悪感がない(我々と同じ様に苦しめない」と信じてるから。我々は己に課せられた責任が厳しすぎると思っても軽すぎると感じても(歪んだ義務感から)苦しむ。正当な責任などない
  • 「受け皿がないから刑務所に長くいてもらおう」という判決について - 泣きやむまで 泣くといい

    姉殺害に求刑超え懲役20年判決 発達障害で「社会秩序のため」 http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012073001002297.html 司法が「社会秩序」とか言うな。そんなことは誰も頼んでいない。 関係者ならばよく知っている言葉に「社会的入院」というものがある。この言葉に馴染みのない方はwikipediaの説明でも読んでいただければよい。今回の判決には「社会的入院から社会的入獄へ」なんて皮肉まで聞こえているけれど、ダメな福祉や医療が推し進めて批判されてきたことを、新たな形で「司法」が支持するならば、地域生活を送るためのシステムづくりに向けて社会が気で尽力しない現状に、誰がどう歯止めをかけられるのか。 その意味では「社会的入院」よりもさらにタチが悪く、おそろしい話。裁判員裁判「だから」こうなったのか。裁判員裁判「なのに」こうなったのか。裁判員だろうがなか

    「受け皿がないから刑務所に長くいてもらおう」という判決について - 泣きやむまで 泣くといい
    Midas
    Midas 2012/07/31
    世間でいう『マトモな』犯罪とは『貧乏ゆえ盗む』の様な社会との関係性における逸脱や反抗。これは「ほっといてくれよ」に近い。故にイデオロギー上からは大犯罪。ただし再犯の可能性は低い。この「秩序」はみせしめ
  • 「現場をわかってない」にアカデミズムはどう対抗するか? - 泣きやむまで 泣くといい

    Twitterでも少し書いたけれど、再整理してみる。 覚えておきたい「橋下リテラシー」 http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20120115 予想するに、おそらく画面上で今後も大学教授や知識人は負け続けるだろうと思う。残念ながら「論理」や「実証」をもってしても、勝てる気がしない。たとえ議論で勝てることがあっても、テレビで勝敗を決めるのは視聴者なのだから。橋下氏は、あの口調であのテンポであの表情で余裕しゃくしゃくと上から下からしゃべり続ける。「自分は現場を知っている」と主張しながら。対戦相手は熱くなれば「痛いところを突かれたのだ」と視聴者に判断されるし、冷静であり続ければ「現場と同じ目線で物を見ていない」と判断される。どう転んでも、負けた印象はぬぐえない。 反橋下の人たちが考えたほうがよいと思うのは、これから国政も含めての彼の「暴走」にブレーキをかけたいのであれば

    「現場をわかってない」にアカデミズムはどう対抗するか? - 泣きやむまで 泣くといい
    Midas
    Midas 2012/01/16
    ニートや引きこもりからみれば彼らも大学やそれぞれの悪しき専門分野、利害関係(現場)の代弁者にすぎない(http://bit.ly/AB7Vzxhttp://bit.ly/w7wWKs)。負けて当然。偏見を捨てるべきなのはニート以外の国民全てhttp://bit.ly/AgVYri
  • 寄付をすることであなたも伊達直人になれる? - 泣きやむまで 泣くといい

    群馬の児童相談所前に大量のランドセルが積まれていたのは、昨年のクリスマスの朝であった。差出人は伊達直人。 2件目は年明けだった。1月5日。今度は神奈川の児童相談所前にランドセルが置かれた。いっしょに残されていたという手紙にはじめて「タイガーマスク運動」という言葉が登場する。 お正月をはさみ、多くの人は昨年のクリスマスにあった出来事なんて忘れかけていただろう。この2件目の「タイガーマスク」が決定的にこの後の流れを作ったと言える。最初の「フォロワー」の重要性。 3〜5件目は1月7日である。多様化がはじまる。 長野では児童相談所宛てではあるが、ランドセルは宅配便で届けられた。送り主は手紙で「遅れてきたサンタクロース」と名乗った。「私にも小学1年生になる子供がいます。同じ気持ちで楽しい入学式を迎えましょう」「世の中に私と同じ志の方がいらして共感します」などとも書かれていたそうである。 静岡では児童

    寄付をすることであなたも伊達直人になれる? - 泣きやむまで 泣くといい
    Midas
    Midas 2011/01/14
    間違ってる。本件は「私も物語の主人公」でなく逆。社会を物語化する動き。でなければ現象にならない。『大きな物語』の回帰。「これを機会に」論は的外れ。既に目的は達成されてる。この善意こそ地獄への道の典型
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