次の世代が文化的に貧しくて可哀想、なんてのは先行世代の思い上がりだ。たとえ彼らが本当に貧しいのだとしても、それで満足しているのならなんの問題もないじゃないか。 「思う」「信じる」「疑う」「望む」などの語を含む推論は形式論理学では処理しにくい。 たとえば、 若者達は値段と品質がFreeなカルチャーを望んでいる。 値段と品質がFreeなカルチャーは文化的貧困に至る。 若者達は文化的貧困に至ることを望んでいる。 1と2が真であっても、そこから3を導出するのは妥当な推論ではない。なぜなら、若者達は無知であり、2を知らないかもしれないから。 では、次はどうか。 若者達は値段と品質がFreeなカルチャーを望んでいる。 若者達は値段と品質がFreeなカルチャーは文化的貧困に至ることを知っている。 若者達は文化的貧困に至ることを望んでいる。 1と2が真であっても、そこから3を導出するのはやはり妥当な推論で