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ブックマーク / trivial.hatenadiary.jp (3)

  • 若者達が本当に文化的貧困を望んでいるとは思えない - 一本足の蛸

    次の世代が文化的に貧しくて可哀想、なんてのは先行世代の思い上がりだ。たとえ彼らが当に貧しいのだとしても、それで満足しているのならなんの問題もないじゃないか。 「思う」「信じる」「疑う」「望む」などの語を含む推論は形式論理学では処理しにくい。 たとえば、 若者達は値段と品質がFreeなカルチャーを望んでいる。 値段と品質がFreeなカルチャーは文化貧困に至る。 若者達は文化貧困に至ることを望んでいる。 1と2が真であっても、そこから3を導出するのは妥当な推論ではない。なぜなら、若者達は無知であり、2を知らないかもしれないから。 では、次はどうか。 若者達は値段と品質がFreeなカルチャーを望んでいる。 若者達は値段と品質がFreeなカルチャーは文化貧困に至ることを知っている。 若者達は文化貧困に至ることを望んでいる。 1と2が真であっても、そこから3を導出するのはやはり妥当な推論で

    若者達が本当に文化的貧困を望んでいるとは思えない - 一本足の蛸
    Midas
    Midas 2009/03/13
    それ以前に「選択の罠」がある。国会図書館の書庫を見た経験のない者はジュンク堂の品揃えが貧しいと言われてもわからない。FREEかそうでないかは商品化にまつわる諸問題の結果とも言える。タダ=悪ではない
  • 精神の背骨が自分の内にある人は一本足の蛸になれない - 一本足の蛸

    前置き 見出しの「一足の蛸」はこの日記のことではなくて、その出典である『絶望系 閉じられた世界』に登場するある人物の存在の仕方を指します。 価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習 はてなブックマーク - 価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習をみると賛否両論で、どちらかといえばネガティヴなコメントのほうが多いように思うが、それはそれとして、元記事を読んでいちばん気になったのは、その説教の核心部分ではなくて「精神的な背骨」という比喩表現だった。「精神的な背骨」があることは好ましく、ないのは恥ずべきことだという価値観がストレートに表されているのだが、「精神的な」という修飾語を抜きにするとどうなるだろうか、と考えてしまったのだ。 同様の比喩表現には、たとえば「自分の殻に籠もる」というものもある。これは多くの場合、悪い意味に用いられる。逆に

    精神の背骨が自分の内にある人は一本足の蛸になれない - 一本足の蛸
    Midas
    Midas 2009/02/25
    背骨は人の中にあって人間(動物)的でない外部、植物的なもの。植物は動物に比べ外部と内部が逆転‐対環境の苦しみを表現してる。殻もそう言った意味では植物だが骨の場合その周りに我々は自我を紡いでるが故より適切
  • 誰が見ようが赤は赤、色に違いはありはせぬ - 一本足の蛸

    次の二つの文を読んで、100文字以内で論評しなさい。 あなたが見ている赤と私が見ている赤が同じだという保証はどこにもない。 あなたが見ている四角と私が見ている四角が同じだという保証はどこにもない。

    誰が見ようが赤は赤、色に違いはありはせぬ - 一本足の蛸
    Midas
    Midas 2007/12/12
    人生色々。好きも色々(笑)/他人を騙すことが好きな者は、騙してない時は他人に騙されてることが好きなのである
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