福岡伸一がダーウィニズムに対して反感を抱いていることは、これまでの記事で明らかだと思うのだが、福岡が直接心情吐露している文章を見てみよう。 「ソトコト」2005.12月号から。 ライアル・ワトソンの「音楽の進化論的な起源は、求愛行動のコミュニケーションツールだ」という主張を引いた上での福岡の反応。確かにそういう側面もあるかもしれない。しかし、現在の私たちに所与されている生物学的特徴と形質の全部が全部、進化論的なゲーム戦略の結果もたらされたものとだけ考えてよいだろうか。私は最近、特にこのような考え方に徒労感を覚える。なぜならばすべてを進化論的に解釈する考え方は端的に言って間違っているだけでなく、自然界のありようを極端に図式化し、またその豊かさを捨象してしまうからである。進化論的な淘汰が、生物の持つありとあらゆる反応にもれなく作用しているとすれば、世界はこれほどまで多様性に満ちていることはない