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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (9)

  • 稲葉振一郎『理論社会学入門講義(仮)』6月刊行を目指して作業中につき - shinichiroinaba's blog

    さわりを公開します。 前回、19世紀末から20世紀初頭において成熟した「社会学」という学問は、一言でいえば「社会的に共有される形式と、その変容可能性についての学問」である、とまとめました。こういう発想による理論社会学のプロジェクトの頂点が、20世紀中葉のアメリカ合衆国の社会学者、タルコット・パーソンズです。社会を一定の価値観、規範を共有し、それを内面化した人々の集まりとして、そうした人々の行為のネットワーク――システムとして捉え、更にその変動メカニズムまでをモデル化した理論を作ろう――パーソンズはそのように考えて、壮大な理論モデルを試行錯誤して作り上げていきます。今日でもぼくたちはしばしば「社会システム」という言葉づかいに出会いますが、それはパーソンズによって広まったものである、と考えても構いません。 成熟期のパーソンズの理論は「構造機能主義」と形容されます。「機能主義」という言葉は今日で

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    Muichkine
    Muichkine 2009/02/06
  • 最適化の続きの続き - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080916/p1 あれからできないなりに一所懸命計算しました。その結果、こういう中間的結論に達しました―― ・最小作用原理でいうところのラグランジアンは、 古典力学だと、 「運動エネルギー・マイナス・位置エネルギー」 であるが、 経済学の動学的最大化問題の場合、この場合ラムゼイ的最適投資理論のフレームでの生涯効用最大化だとすると、 「割引済み瞬時効用・プラス・瞬時投資のシャドープライス×(瞬時投資制約マイナス瞬時投資)」。 まあ実際にはここでは均衡論的枠組みなので、投資制約と投資は常に一致するわけですが。 ・ハミルトニアンは、 古典力学だと、 「運動量×速度・マイナス・ラグランジアン」 イコール「運動エネルギー・プラス・位置エネルギー」 イコール「エネルギー総量」 であるが、 経済学の場合、 「瞬時投資・プラ

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    Muichkine
    Muichkine 2008/09/17
  • 終了してない(3) - shinichiroinaba's blog

    ここで問題としたいのは「そもそもGDPとは社会的選択の対象となるようなものか?」ということです。そもそもGDPはいったい何の指標であるのか? が大変気になっております。 ミクロ的な見方を徹底すれば、GDPとは結局、社会的選択の対象、評価と選択の対象となるべきものでさえないでしょう。それは単純に名目的な数字です。現実社会でならともかく、理想的な情報の流通がなされている世界を想定するならば、社会厚生関数には素直に「所得分配プロフィール」だのあるいは「寿命プロフィール」とか「識字プロフィール」を入れれば済む話でしょう。あるいは個別の財・サービスがどれくらい生産されるのか、を考えれば済む。 ぼくが気にしている「マクロ経済固有の水準」とは、そのような結果レベルのことではありません。「潜在GDP」とか「GDPギャップ」「失業率」とかいった数字の背後に隠れているもの、つまりは潜在的な生産力水準と、その稼

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  • 終了してない(2) - shinichiroinaba's blog

    承前http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080904/p2 それでは「こうした社会的選択理論の使いどころはどこであり、その前提は何か」について少し考えさせてください。 ここで社会的選択理論が考える、社会的な状態、更にはその基礎になっていると思しき、個人レベルでの厚生水準等々は、ロバート・ノージックが功利主義やジョン・ロールズの思考を批判していったところの「結果状態原理」なる形容に言い当てられているように、ある種の「結果」として考えるべきものでしょう。結果的に、どの程度のGDPが実現されたのか、どの程度の識字率が実現されたのか、乳幼児死亡率はどうなったのか、どのような(税引き後)所得分配が達成されたのか、更に細かく言えば、どの産業部門でどの程度の生産実績が上がったのか、どの湖の水質基準はどのような数値に終わったのか、等々が、評価され、選択の対象とさ

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  • 終了してない(1) - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080904/p1 論争はディベートにはならずに無秩序に広がりながらそれぞれに論点を深めたり増やしたりしていけばいいと思います。 まず、mojimoji氏も肯定的に触れている拙ブログへのoさんのコメントに従って、もう一度mojimoji氏の問題意識について復習します。 山形さんの「GDP 概念やその比較を否定するのは愚かなことだよ」という主張はもちろん、その通りなのだけど、Mojimojiさんの議論はGDP指標を否定するものではなく、単にGDP指標によっては比較不可能な社会的選択問題がある事を強調しているだけですから、これも議論が噛み合っていません。 GDP 概念が強力なツールである事は言うまでもないですが、それだけで事足りるのであれば、社会厚生関数についてのサミュエルソンたちのような議論が出てくる必要も無かったわけで、じゃ

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  • お勉強と社交 - shinichiroinaba's blog

    土日は吉原直毅に誘われて、鈴村興太郎大先生代表の科研費特定研究『地球温暖化問題を巡る世代間衡平性と負担原則』の総括カンファレンス(@学術総合センター)にディスカッサントとして参加。おお、なんだかまるで学者みたいだぞおれ。 面子は厚生経済学者と法哲学者ばっかりで、論じられるテーマも唯一の例外を除いてあらかた世代間衡平についての形式的・規範理論的な考察ばっかり。唯一の例外は実験経済学(「制度設計工学」だってカコイイ!)の大御所西條辰義らの、排出権取引についての実験。西條先生は具体的な地球環境問題についての、地球科学の具体的な知見をふまえた研究がないことを嘆き、大仕掛けのモデルを駆使した報告をする吉原氏にしきりに突っ込みといやみを入れていた。せんせそらおっしゃるとおりやけど、このプロジェクト5年やっとりますのやろ。今ごろ言うても詮無いことですがな。 研究会の影の主役はロールズはもちろんだがそれ以

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    Muichkine
    Muichkine 2008/07/20
  • 「疎外」「物象化」をめぐってあれこれ無秩序に - shinichiroinaba's blog

    考え方はいろいろあって、まず「マルクスの思想は現代経済学ゲーム理論と整合的である」という大前提から出発する。そうするとここで「だからマルクスも再読に堪える」という考え方も出てくれば、逆に「だったらマルクスイラネ」という考え方も出る。この違いはどちらが正しいか、という問題ではない。要はそれぞれの受け手の側での事情の違いである。マルクスを含めた「思想」によりなじみの深い人文系インテリにとって「だからマルクスも再読jに堪える」という結論には十分に意味がある。こうした層にとってはマルクスと併せ読むことによって、現代経済学ゲーム理論の理解がはかどる可能性があるからだ。 ただそれだけで済ますわけにもいかない。 山形の場合も「だったらマルクスイラネ」という結論は、何の気なしに出されているわけではない。マルクスには激烈な副作用があり、その副作用を勘案するならば、なくてすませられるなら敬して遠ざけるに越

  • ドナルド・デイヴィドソン『合理性の諸問題』(続) - shinichiroinaba's blog

    書がどうして「デイヴィドソン自身によるデイヴィドソン入門書」なのかというと、普通「デイヴィドソン哲学」というと行為論と意味論との二系列からなるものとして理解されているのだが、書収録の諸論文においては、その両者をより大きな「心の哲学」体系へと統合した「統一理論」が素描されているからである。 その際キーになっているのは「欲求」の概念であり、信念に対する欲求の先行性、根底性が主張されている。その理論構築に際しては、、彼自身もキャリアの初期において共同研究に参加していた意思決定理論のアイディア、ことに期待効用理論が重要な意味を持っている。非常に大雑把に言えば、フォン=ノイマン・モルゲンシュテルン効用関数にしたがっているという意味で合理的な主体が、将来の不確実な事象に対して割り当てる主観確率を、まさに命題的態度としての「信念」と見なすわけである。 もちろん現実の人間を含めた行為主体が、文字通りに

    ドナルド・デイヴィドソン『合理性の諸問題』(続) - shinichiroinaba's blog
    Muichkine
    Muichkine 2007/12/26
    うおおお、面白そすぎる
  • 結果の平等の方が安いかも? - shinichiroinaba's blog

    きしくんところは基的にはネタブログなんですが(だいたいなんや「縁の下の力組」て!) http://sociologbook.net/log/200608.html#eid22 これはおもろいですね。 何が言いたかったかというと、「実はこっちの方がコストが安いから」っていう根拠で「結果の平等」を擁護する議論ができないか、と考えたってことなんですが、まあそんなことはもっと賢い人たちがとっくにやり尽くしているであろう。 いやいややり尽くしてないと思う。 たしかにややこしい制度(それこそ「機会の平等」を保証するような)作るより、右から左にばーんと金だけ動かす方が簡単なのは当たり前で。なんちゅうかややこしい制度は「取引費用」がかかりすぎて、仮にそれが経済学的にいうところの「インセンティブ・コンパティビリティ」をうまく満たしていたとしても、制度の利用者のインセンティブを引き出して効率を上げた分が、制

    結果の平等の方が安いかも? - shinichiroinaba's blog
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