最近のラディフェミの主張でとかくよく萌えている燃え絵界隈の話だが、 ずっと思ってたのは、なぜ好き嫌いのことを正しさで語るのかが理解できないという点だった。 誰にだって好き嫌いはあるし、どんなに頭で良くないと分かってたって生理的嫌悪感を抑えることがどうしてもできないってことは仕方ないと思う。 また内心の自由の範囲内であればどれだけ口汚く罵ったって構わないし、 名誉毀損や差別にならない範囲内であれば、その好悪の表現もあったって良いはず。 ただフェミの主張はそれどう考えても100%好き嫌いだよね?って内容でも、 やれ不適切だのゾーニングしろだのリクツをつけて排除しようとしていた。 これがどうにも理解できなかったのだが、 ふと表題の仮説が頭に浮かんだところ、あーそもそも前提が違ってたのかな、と。 キモいものは存在が不適切で正しくない、というのが彼女らの主張なのではないのかなと。 そしてキモさという